冷静的父性愛

2019年10月27日 歴史に試される日々が来た!




「わけのわからないことを書いてしまって」

何を書いたらいいのか、何から書いたらいいのか?何を書くべきではないのか?いささか躊躇する日々が続いています。あれから10日間が過ぎ、ようやく少し書いてみる気がし始めました。

人生にはいくつも分岐点があり、曲がり角があり、分岐の選択や曲がり方をうまくこなさないと期待した未来とは全く違う方向へと揺さぶられ追いやられます。

幸いにして私自信は、かなり際どい状態に追い込まれながらも、なんとか選択肢を間違えずにここまでやってこれました。もちろん細かな選択ミスはたくさんありましたが、大枠では間違っていなかったようです。

自分で選択した未来は、自分でクリアしていくしかありません。手探りで生きていく人生に躊躇している暇は全くないのです、そのばその場で最善手を見つけて突き進むしか無いのです。しかし、自分ではどうしようもないことで巻き込まれ何かを判断し選択しなければならなくなった時どうするべきなのでしょうか?

抽象的な書き方になって申し訳ないのですが、まだ今は事情を明らかにするわけには行かず、現時点の苦しい心根の発露としてこれを書き出したのですよ。

自分が生きていくことの未来が私の年齢になると薄っすらと想像ができ、蓄えや健康状態から察してこの先どこまで生きていけるかとか、贅沢しなければ一生食っていけるだろうとか思うようになっていたのです。そう・・・将来設計とはもう言わないでしょうがなんとなく自分の未来はこうなるだろうと想像つくところまで来ていたのです。

それが自分でコントロールできない状態に追い込まれた現実があり、どう対処しどう進んで行くべきなのかが急激に見えなくなってしまったのです。冷静に考える時間が必要です。私は昔から冷静に判断しようと心がけてきました。激怒することはなく、声を荒げることもなく淡々と生きていくことが心情でした。いま私に試されているのは「父性愛」かもしれません。どこまでその力を持って戦っていけるのか?を歴史に試されているのかもしれません。そのために必要なものは「財力」です。これがいま厄介なのですよ。老後のために貯めたお金が目の前で減り始めました。

予想以上の速さでこの先も減ることが予測されます。しかしそれを補填する手立てはなく、ひたすら年金で生きていくだけです。その金額は生きていく最低限のコストがクリアできるだけ。減ることはあっても増えることはなく、先の展望は見えてきません。

私は生まれてこの方「お金」で苦労したことはありませんでした。リッチであったということではなく、あまりお金を使わない生活に慣れていたのでお金に振り回されたり、金欠になって苦しんだりという経験をしたことがなかったのですよ。しかし、今日の私は切実にお金を必要としています。ある対策のためにね。いずれ時が経ち何らかの解決策は生まれるのでしょうが、それまでの間は苦しさがつきまといます。

今日は今までに書いたことが無い「笑えない」内容を書いています。自分でも呆れています。しかし、これを吐き出しておかないと耐えられない精神状態に陥りそうです。自分自身ではいずれなんとかなると信じています。信じているからこそ今をなんとかしたいとも考えるのです。この10日間の苛立ちや悲しみを癒やす日々が早く来ることを切に望んでいます。わけのわからないことを書いてしまって申し訳ないですが、今日はここまで・・・。


本日の結論
再び父性愛を必要とされている!!!

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