年金的実体験


2019年02月01日 生活するための基盤について!

1,000円でも当たれば嬉しい年金生活者!


「精神的には穏やかな高齢者生活

えっ?もう二月になったの?
お金についてふと思ったことを雑談風に書いてみます。

昔は、仕事の性格上常にお金の心配をしていました。仕事上もプライベートも同じようにね。ずっと遡れば、中学1年生の頃にそれは始まった気がします。クラスの委員を決める際、父親が税務署員だとの理由でなんとなく私が会計にされてしまってね。それ以来、中学三年間及び高校三年間もずっと会計でした。母親に作ってもらった緑色の巾着袋を集金袋として常に携帯していましたね。

今から考えると、学校は何をやっていたんだと思いますが。生徒に金を集めさせ管理させるというのはどうも納得行かないですね。幸いにして一度も不祥事や盗難が起きなかったので無事に通過しましたが。やがてそれは上京してからも自分自身の中に「お金の管理」という無意識のものがあったのでしょうね。常に十円単位で自分の有り金の管理を続けました。

金欠に陥り、とんでもないことをしでかすようなことはなく、お金が不足する前にバイトして常に最低限のキャッシュは手元にありました。やがて就職して安い給料で働いているときもそれは同じで、しかも私のやっていた仕事は多額の現金の管理をするものでしたから、そこに苦痛はありませんでした。プライベートと仕事の金は常に分離して別の財布に所有していました。

職場の同僚から「金を貸してくれないか?」とよく頼まれていました。月末になると数人から申し込まれることもありました。大抵は1万円〜2万円の範囲でしたがね。別に金利を取ることもなく、貸した金が給料日に返されればそれでよかったのですよ。その頃は「タナベ銀行」と呼ばれていました。しかし、こんな事が起こりました。給料日に「貸したお金の返金」の声掛けをしたところ「うるせえなあ!返せばいいんだろ!」と万札を投げてきたのです。これには一瞬そいつの精神状態が理解できませんでしたね。それ以来そいつには頼まれても二度と貸すことはありませんでしたが。

公的に大きな資金を借りるときには様々な手続きがあり、金利もそうですがトリッパグレがないような手立てが講じてあります。しかし、友人間での貸し借りはその部分が曖昧です。日本人が本来持つ「性善説」で処理しがちなので、一旦返済が滞ると泥沼にハマっていきます。数万円なら諦めもつきますが、百万円単位になるとそうも行きませんね。

金を借りる時の口上は「必ず返す」と言います。この「必ず」は必ずしも「必ず」ではない場合が多くてね。何度も煮え湯を飲まされています。その時は真剣に助けてあげようと対応するのですが、助けられた方はすぐに忘れてしまいます。連絡さえつかなくなります。幸いにして私が借金することはないのでその逆パターンになることはなく、人として正常な精神状態だと信じていますがね。借りてバックレルより、まだ騙されている方が精神的には健康です。借りた金を返すのが当たり前という感覚がない人々は悲しいですよ。だから私は借金はしない。

さて、そんな昨今ふと気づいたことが在るんですよ。なんだか最近お金に関して管理をしていないのでは?とね。財布の中身や貯金通帳に関してほぼ無関心と言うか・・・。一つには「年金」の問題が在ると思うのですよ。年金をもらい始めると、二か月に一度、銀行口座にまとまった金額が振り込まれます。その金額で二か月間生活するわけです。今もらっている金額で生活ができるのか?という部分に関して「最低限の生活は出来ます」と答えておきましょう。というのもすでに住宅ローンは16年前に完済したので支払いは管理費と駐車場代だけ。子供も巣立ったので夫婦二人がこの歳になってする食事量もたかが知れています。外食しても酒を飲まないので安いもの。たまに二人で映画を観に行って食事するくらいが贅沢というところですかね。

この基本的な生活基盤が保証されていると、いちいちあっちの口座の残金がいくらとか、こっちの口座の残金がいくらとか考えたくないんですよね。たぶん、長年に渡ってお金の管理をしてきた反動なのでしょうね。気軽にお金を使うようになりましたし。小銭ですけどね。いつもお金の心配をしている生活は疲れますよね。精神的にも荒れやすくなるし。

もう一つ在るのは「欲望」への到達願望が薄くなっているからでしょうね。あれが欲しい、これが欲しい、あれ買わなきゃ!なんてな思考がどんどん消えていきましてね。例えば、液晶テレビに少し色むらが出てきて買い替えたいなと思い始めてもう二年経ってしまいました。4Kがもう少ししたら安くなるんじゃない?とか8Kが安くなるまで待つか?などと鷹揚に構えていて「買わなきゃ!」感が薄いんですよ。あまりテレビを見ていないせいも在るのでしょうが。

ギターもアンプもここ数年買っていませんし、そういう欲求が湧き上がらないと言うか、もっと精神状態が別方向のベクトルで動き始めている気がします。なんだろうなあ?これが歳を取るってことですかね?自分を穏やかにキープしようとしている感が強いです。いろんなことに振り回されたくないと言うか。結局何をやろうとしても資本主義社会ではお金の必要性が発生するわけでして、やりたいことはお金がクリアされないとスタートできず、それであれば最初から欲望を消すことでお金の必要性も消えるわけでしてね。

と、ここまで書いてきてようやく何を書きたいのか見えてきました。「年金はありがたい!」ってことですね。大金ではないが、精神的に安定した生活を送ることができる基礎になっていると。もしいま私の「年金」がゼロになっちまったらおそらくこんなことを書いている暇はないんでしょうね!

一口に「年金生活者」と言いがちですがイメージと違って、おそらく厚生年金と国民年金を合わせて満額もらっている方は、精神的には穏やかな高齢者生活を送っている方も多いと思いますよ。


本日の結論
払っているときにはこの感覚は分からんのよね!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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