記憶的誤作動


2019年01月25日 記憶が怪しくなった時は記録を確認するがそれさえ怪しい!


「嘘の記憶が組み込まれて

記憶と遡ると見えてくるもの。

ふと思い出す風景や、そこで起こった出来事がある。私の記憶で一番古いものは、2歳半位の頃の火傷をした瞬間だ。土間で七輪の火を起こしていた母が後ろに近づいた私に気づかなかったので、金属製の焼けた火箸を持ったまま振り返った。その瞬間母の火箸は私の太ももに押し当てられた。この、母が振り返り私の太ももに火箸が当たる瞬間の主観の光景が私の記憶の中で63年間ずっと残り続けているのだ。そしてこの記憶が正しいと私は信じ続けていた。

確かにこの事故が起こり、私の左足の太ももに火傷の痕がそれから20年ほど残り続けた。今はもうすっかり消えてしまったが。そしてそれにまつわる周りの情景や家の様子も一緒に記憶に焼き付くように残っていた。それらもすべて正しい記憶だと思い続けていたが・・・。

昨年母が上京してきた時、昔の話になりこの火傷の瞬間の話になった。この話が出るたびに母は「ごめんね」と消え入りそうに謝るのだが、私は謝ってほしいわけではなくて、私の記憶がどこまで正しいのかを知りたかったのだ。すると意外なことがわかった。私の記憶は半分しか正しくなかったのだ。

火傷した原因や動きはほぼ正しかったのだが、それが起きた場所の記憶が違っていたのだ。借家に住んでいた時の情景だと思いこんでいたのだが、実はその家に移る直前の別の家で起こった事故だったのだと母は言った。その家に関する記憶は私に全く残っていないので、多分いくつかの記憶が合成されて自分の中で定着したのだと知った。

面白い!実に面白い!記憶の曖昧さの中に人は生きているのだね。今信じている記憶は果たして本当に起こったことなのか?それが揺らぎ始めると、自分の存在が怪しく感じられる。自分とは一体何者なのか?それを追求し始めると、実態がよく分からない状態に陥る。掘り下げようとすると、当然のごとく記憶との戦いになる。自分の存在は記憶の中にしか無いからだ。しかし、その記憶自体の立脚点が怪しいとなれば、何を信じればよいのだ?絶対的な確信の中心は自分自身であるはず。それが揺らぐ。自分を知ろうとすると混沌に巻き込まれていくのだ。

ある思考実験の中に「過去は有ったのか?」というものがある。現時点で自分が持っている記憶は植え付けられたものではないのか?自分の存在は5分前からなのかもしれない。それ以前の自分の記憶はすべてそう信じるように植え付けられたものだとしたら、何をもってそれを否定すればよいのだ?否定材料を見つけてもそれ自体が植え付けられた記憶であるとすれば・・・。結局、自己肯定はできるがそれは自分自身が自分に対して行っているだけで、相対的なものではない。自分自身の本体は実験室内のビーカーに入れられた脳だけかもしれない。その脳が勝手に思考を続けているだけかもしれない。

あなたと私の関係も、実は私が一方的にあなたを知っているという記憶があるだけかもしれないという可能性は否定できない。この文章を読んでいるあなたがいると考えているのは私の妄想かもしれない。「いやいや!私は日々tanabe.tvの更新を楽しみにしていますよ!」とのメールが私に届いたとしても、それ自体が私の思考の中にだけある妄想かもしれない。このように、記憶を探り始めるとイケナイ方向へ引っ張られていくのでちょっと危険だ。だが、このような思考実験は面白い!「現実とは何か?」と考えることも似たような結果を生む。「時間とは何か?」もそのような類となる。

話が少しずれてきたので戻そう。

記憶の不完全性のことを書きたかったのだよ。自分が信じている記憶は「曖昧」が正しいと思うのだ。すべての自分の記憶が正しいとは限らないことを前提に、物事に対して対処しないと恥をかくことになる。K国の歴史教育がそうだ。子供の頃からの教育が事実とはかけ離れた民族教育として行われている。その結果「植え付けられた歴史認識」になる。これはK国だけの問題ではない。日本でもGHQの指導の元にWGIPが行われている事実がある。「日本人を劣化させるための教育」だ。それによって誤った知識が日本人に醸成されてしまった。それを否定するために私は戦中戦後の情報を集め読み続けた。結果、私自身がいかに日教組及びマスコミの施したWGIPによって思考を歪められていたかよく理解できた。

私は幸いにして学び直すことで50代後半にはWGIPの呪縛から脱出できたが、まだその渦中にいる人々を何人も知っている。今でも日本人で「南京大虐殺」を頑なに信じている人々がいる。記念館を見学してその思いを強固にしたようだ。だが・・・そこにあるのは「嘘の情報」なのだ。嘘の情報を積み重ねて嘘の証拠を集めて記念館を作るよう中国に焚き付けたのは誰だ?日本の反日政治家たちだ。最近になり「南京大虐殺紀念館」の展示写真がいくつか撤去されていると聞いた。理由は「その写真の嘘があまりにもハッキリバレたから」この理由の説明はここでは省くがそれは情けない理由ばかりだ。更に書けば「南京大虐殺紀念館」の展示写真143点について、日本人の東中野教授以下によって綿密な検証が行われた。結果としてほぼ捏造だったと言う。それはすでに検証本として出版されている。しかし、それらの写真は今でも記念館に虐殺の証拠として展示され続けている。こうやって中国人民と訪れる観光客に嘘の記憶を植え付け続けているのだ。

いくつかの写真は「南京事件」があったとして作られた絵葉書だった。残虐な日本兵が中国人を切り捨てている画像だが、一見日本軍人に見えるがよく観察すると、軍服の着用方法が間違っている。日本軍人ならありえないこと。いくつもの写真で同じ人物が同じように存在する。日本刀の使い方も間違っている。中国人役者による演技だ。太陽の当たり具合、影の長さ等、明らかに「南京事件」があったとされる季節と違うものも多い。意図的にキャプションを変えて善を悪と書き換えたり、何も問題ない写真をトリミングして問題化したり、合成したりと、その手口は多彩だ。

そもそも「南京事件」があったとすれば、なぜ毛沢東は戦後日本軍に感謝したのだ?日本軍が国民党を追い出したおかげで共産党が進展したのだから感謝するのは当たり前だ。だが、その共産党が今は日本を非難する。そもそも、日本軍が戦ったのは「国民党」相手であって「共産党」ではない。現在は「共産党国家」なのだ。彼らは日本軍とは戦っていなかったのだ。何を恨むというのだ?理由は、国民の思考方向をそらすために国家レベルの記憶の植え付けが行われたからだ。

K国人でも、日本に留学し積極的に歴史を勉強した結果「国家的嘘教育」の実態に気づき目覚めた方がいる。恐れを抱いて日本に来てみたら、今まで教育されて知っていた事実とあまりにも違う穏やかで親切な日本人が持つ現実の姿に驚き混乱したと言う。代表的な方は以下のオ・ソンファさんだ。あえて日本に残り帰化し、その国民性の違いを説いて回っている。

呉 善花(オ・ソンファ、1956年 - )は、韓国生まれの評論家、日本研究者。済州島出身。 大東文化大学(英語学専攻)卒業後、東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。 拓殖大学国際学部教授。元韓国籍で日本に帰化。

ようするに、自分自身が体験した記憶以外にも「教育」によって植え付けられる記憶があるってことだ。私自身の経験で言えば、もう40年ほど前になるが、一度だけK国へ取材で行ったことがある。大きなフェリーで釜山へ行き、朝から夕方まで上陸した。その日は観光バスに日本人が60名ほど乗せられ観光となったが、ガイドをしてくれたK国人のおばさんは当時で50歳くらいだっただろうか。こんなことを言っていた。「私達K国人はみんな日本人に対してとても感謝しています。自分たちだけではどうにもならなかった国をここまで発展させ近代化してもらったのです。日本の統治にとても感謝しています!ありがとうございます!」この言葉が意味するものは?結局ここ数十年の反日教育でこのような記憶は追いやられ、国民全体に嘘の記憶が組み込まれているのだ。

少し複雑になってしまったが、自分の経験した記憶でさえ都合よく歪められ自分の中で定着させてしまう。国家の意志として「反日」を旗印に教育を進めれば、それは植え付けられた記憶として強く残ってしまう。それは自分の周りで検証することが難しくなるからだ。周りも皆同じ思想を持てばそこから抜け出るのは難しい。宗教と同じだ。幼い頃に教育されたことは一生残るのだ。しかし、自助努力によってそこから抜け出す人もいる。あなた自身の環境で今正しいと思っていることが果たして本当にそうなのか?ちょっと振り返ってみては?


本日の結論
脳は誤作動する事がある。丸一日の記憶がすっ飛んだ経験がある。とても怖かった。

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