郷愁的肥後守

2018年05月17日 ナイフについて書いてみた!

「肥後守」今も千円前後で 売っています。



「なかなか面白く所有欲を満たせます」

本日は刃物の話。まずは子供の頃の話から始めましょう。あの当時はナイフとは呼ばず小刀と読んでいましたが。
私は小学校に入学した際、父から「肥後守」(ひごのかみ)を持たされました。西暦で言えば1958年ですか。「肥後守」は鉄製の折りたたみ式ナイフのことです。当時の少年達は誰しもポケットに入れていました。戦前から存在していた小刀だったようです。学校では鉛筆を削るため。仲間と集まっては、竹を切ったり小枝を切ったりして遊び道具を作っていました。私は確実に小学1年〜2年の頃は持ち続けていました。もちろん「肥後守」で小動物を殺傷するような野蛮なことは誰もしていませんでした。少年たちの生活必需品だったのです。今で言うスマホみたいなもので、肌身離さず持っていました。

「肥後守」は切れ味が良く、とても使いやすかったのですが刃物ですから使い続ければ切れ味は落ちますね。そこで砥石の登場です。どの家庭にも砥石が有った時代です。子どもたちは父から習い、見よう見まねで刃物の研ぎを覚えました。自分の「肥後守」の切れ味を保つためには必須。刃物+研ぎの技術は一体のものでした。そして当時は誰もが身につけていたのです。

ところが、その直後に異変が起こります。1960年頃、馬鹿なPTAが「肥後守は危険である」と言い出して「ボンナイフ」を推奨し始めたのです。そして一気に「肥後守」は少年たちの世界から姿を消しました。筆箱の中には「ボンナイフ」カミソリ状の刃を持ち、取っ手がついたものや折りたたみ式のものがありました。「ボンナイフ」はカミソリ状の薄刃ですから研ぐことはありません。切れ味が落ちたら使い捨てです。「ボンナイフ」の登場で、少年たちの研ぎに対する技術は劣化しました。ボンナイフでは竹や木を削り遊びの道具を作り出す事が出来なくなりました。鉛筆を削る以上の耐久性がないのです。年齢から考えて、私の弟はもう「肥後守」世代では無いと思います。私が小学3年生の時にはもうボンナイフの時代でしたからね。

ですが、そのボンナイフさえも「鉛筆削り器」の登場で使われなくなりやがて「電動鉛筆削り器」によって少年たちが刃物を持つチャンスはまったく失われてしまいました。こうして一つの「肥後守」が広めた刃物文化が終わりました。しかしそのままで良いのでしょうか?「刃物を使うと危険」という考えは正しいですかね?やがて大人になり、包丁を使うようになって再び刃物に出会う・・・。しかしそのときにはもう正しい刃物の扱い方を誰も教えてくれないのですよ。勿論刃物を研いだこともないわけですから、切れ味が落ちると買い換えることになります。

当家では、娘が幼稚園に入園した際に「切り出し小刀」をプレゼントしました。子供から見ればとても大きな刃物です。それは教育だと思いました。刃物を持てば慣れない子供は必然的に怪我をします。指を切ります。痛みを知りその失敗行為の中で「刃物に対する知識」を身に着けていくのです。ハサミもそうですね。正しい使い方を子供の頃から身につけるべきです。

時代錯誤と言われればそれまでですが「肥後守」がもたらした文化が持つメリットは他にもあります。「使い捨てしない」文化です。自分の道具を自分で手入れして大事に使い続けるのです。あの時代は無くしたとか、壊れたからと言って簡単に買い与えてもらえることはありませんでした。自分の道具を自分で管理するという能力を育てていたのですよ。今でも私は刃物が好きです。使うわけではなく、眺めてその単機能の形状を愛でるのです。「肥後守」はシンプルかつ少年たちが使用するのに充分な機能を持っていました。あの形状には「哀愁」が漂っていますね。

大人になり、仕事をするようになって頻繁に海外に行くようになると、刃物への興味が再度湧いてきました。「ナイフ・マガジン」を購入し眺めつつ、各国の刃物屋や銃砲店に足を運びナイフを見せてもらいました。勿論気に入れば購入しました。結構な値段のナイフもありましたが、趣味の欲求へは抗えず度々購入していました。自分でも作ってみたいとさえ思うようになりました。材料を観るために「銀座 菊水」へは何度も足を運びましたね。


R.W. ラブレス ドロップポイント ヌードマーク

東京日本橋「木屋」の陳列ケースに有った「ラブレス・ドロップポイント」を観た時、凄みのある美しさで欲しかったですね。しかし、ヌードマーク付きは百万円以上していましたので結局手が出せず。実用品というよりアートですね。でも実用可能なアートという位置づけですか。ちなみに、ヌードマークはラブレス本人が「これはよく出来た傑作だ!」と気に入ったものだけにつけられている希少品のマークです。私はこのナイフの現物を観た時にとても美しいと感じました。日本刀にも通じる曲線がありました。ちなみに、ラブレスは車の板バネを再利用して美しい名作ナイフを作り出しました。

さて「肥後守」から始まって「R.W. ラブレス」まで来ましたが、2000年以降はそれらから遠ざかっていました。まったく興味を失い、収集した多くのナイフを譲渡したり差しあげたりしてしまいまして、手元には数本しか残っていませんでした。しかし、ココから昨今の話をします。

激安通販サイトWish で多くのナイフを見つけたのです。はっきり言って出処は怪しいのですが、ナイフで検索すると面白そうなナイフが並んでいます。そして注目はそれらの価格です。多くは1本2千円〜3千円程度の値がつけられているのです。ナイフの価格としては極安です!(真っ当であれば)中には「本体無料 送料を払うだけ」といった商品もあり驚かされます!試しにと1本買ってみたところ、まずまずの出来。さらに次は?と買ってみたら結構よく出来ていて、ではさらに・・・さらに・・・と次々にポチってしまいました。

これらは後世に残せるような伝説的ナイフではなく、私の好奇心を掻き立てるだけのトリッキーな存在ですがね。手にしてみるとなかなか面白く所有欲を満たせます。かと言って「肥後守」のように日常的実用品ではなく、キャンプもやらなくなった今となっては机の引き出しに仕舞い込むだけなのですが・・・。趣味ってそんなもんではないでしょうかね?酒も煙草もやらないおっさん(すでに爺さん)となった私にとって、2千円〜3千円のナイフを月に一本や二本手に入れ愛でるのは平和な趣味ではないでしょうか?例えばこんなナイフが昨日届きました・・・。

 


余談ですが・・・。
私の両親が付き合い始める切っ掛けとなったのが「肥後守」なんです。戦後間もなく、県庁に務めていた二人は机が隣どうし。母の鉛筆を父が肥後守で美しく削ってくれたのだそうです。その優しさに母が惚れ、それが今の私に繋がっているわけです。


本日の結論
当家に遊びに来られたら集めたナイフをお見せいたしましょう!きっと笑います!

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