延命的六十六

2018年05月14日 66歳まで生き延びました!

この画像に意味はなく、ただ単に66という数字を出したかっただけ!



「とりあえず67歳までは生きてみよう!」

生き延びていると言う感覚は皆様にはあるのでしょうか?今日は私の66歳の誕生日です。66年間をなんとか生き延びてきたと私自身は感じます。特に60歳を過ぎてからの誕生日にはそれを強く感じます。かと言って感謝の念が浮かぶとか言う問題ではないようです。振り返れば、物心ついたときから私が何度死に直面したのか?はっきり知っているだけで3度ありました。それを超えて今があるわけです。

生きていることを意識するという行為は、死を意識することと表裏一体ですね。私がそれを意識し始めたのは、父が亡くなったときでした。1992年享年67歳。父は若い頃から病気漬けの人生で、8か月間癌と戦って亡くなりました。最終的に病院のベッドで「もういい・・・ありがとう」と自身で延命装置を外すよう私達に伝え、その後すぐに意識がなくなり二日後静かに逝きました。

その時、父と同じ様に「私の人生は67歳で終わる」と無意識に思うようになりました。しかし、人生は自分が考えているように進行するわけもなく・・・私は54歳から酷い鬱病で苦しんだあげく、2006年2月末に山の手線「大崎駅」で電車に飛び込もうとしました。しかしいま生きています。あの時あと数秒思考が停止していたら私は確実に線路に飛び降りたでしょうね。自分で自分の精神状態をコントロールできなくなる瞬間があるという恐ろしさをその時体感しました。

その日から「死」はずっと私の隣に寄り添っていました。いつ訪れるかも知れないその瞬間が私を待っている感じがずっと続いていました。

しかし、2012年春に転機は訪れました。鬱病からの脱却です。Mr. Larry Carlton に初めて会った直後、朝起きた瞬間感覚の中に突然明るい光が差し込み「死への願望や恐怖」は私から離れていきました。ギター用のペダルを作り続けたことで評価され始め、世界中に友人知人が増えました。現時点で68カ国の多くのギタリストたちと交流が持てる様になりました。

もう何度もこのことは書き続けてきましたが、それは自分への確認と鬱病で苦しむ方々へのエールです。人生は急転落することがあれば急浮上することもあるという事実を私が体感したからです。あの日「死」を選んでいたら今の私はないということ。あれ以降何も生み出さず、誰とも知り合わず、忘れ去られていただけでしょう。

ちょっと変な書き方になっていますが、ご勘弁ください。私の正直な感覚を書いているのですよ。父が亡くなった時の年齢は67歳と書きましたが、それと私が同じ運命だとすると私の余命は残り1年間だということになります。今まで余命を意識したことはほぼありませんでしたが、リアルな数字として「一年間」というのはかなり迫ってくるものがあります。

私の知人で余命半年とか、余命一年、と宣告された方がいていずれも既に亡くなられてしまったのですが・・・私は医師に宣告されたわけではなく、自分でかってに設定した「67歳」に対して生き続けていたわけでして、そこへあと一年で到達するということに対するあまりの「現実感」の無さに正直驚きます。たぶん、私が目標としていたのは「とりあえず父が生き抜いた67歳までは生きてみよう!」との設定だったのではという感じがしますね。

それでは次の目標はどうするのか?難しいですが67歳の誕生日を迎えてから考えることにしますか。目標を立てたところで、決してそのとおりには行かないですからね。ということで、これから67歳までの一年間は思ったとおりに遊んでみることにします。財力が許す限りでね。そして、一年後には75歳まで生き続けようと思うのでしょうね。


机の引き出しからポロリと出てきた30代後半の私の写真。



本日の結論
遊ぶのにも体力との勝負になっているのはちょっと寂しい66歳!

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