読了的天皇論
2017年08月30日 私は天皇についてどこまで知っているのだろう?


ふと買ってみた本。2009年出版


「それはどこから来るものなのか?」

車で移動の途中に古い哲学書を探したくなって、近所のBOOK OFFに立ち寄ったのは一昨日のこと。似たような本はあったのだけれどいまいち買う気にははなれず、店内をウロウロしていたところ「小林よしのり著 天皇論」が見つかった。分厚い本だ。マンガ形式で論説するという「ゴーマニズム宣言」の「天皇論」である。

何故この本が気になったのかというと、以前は小林よしのり氏の言動が結構好きで「戦争論」なども好ましく読んでいた。しかし、昨今の小林氏の言動が以前とズレて来てなんとなくおかしいと感じ始めてきたのだ。あくまでも私の感覚なのだがね。そこで2009年に出版された「天皇論」ではどのような主張がなされているのか?と気になったのだ。そして購入。(今年になり今上天皇の退位問題を含んだ100P追加の改訂版が出版されたようだ)

さて、この「天皇論」を読む前に、私自身がどのように天皇陛下の存在について考えていたのか?感じていたのか?そもそも教育はどのように受けていたのか?を思い出してみることにした。

いままでに、何度か「皇室」の車が過ぎる様子を目にしたことがある。一番古いのは、小学6年生の頃だと思うが、宮崎空港そばの街道で「皇太子御一行」の車列に向かい日の丸の小旗を振っていた記憶がある。九州の小学生にとってはコレが唯一の記憶だ。

父は大東亜戦争末期に出兵して台湾まで行き、なんとか終戦後帰還する事ができた。父は宗教を否定していて、私はいわゆる「無宗教」の家族として育った。父は天皇陛下についてあまり口にすることはなかったが、戦前の教育で天皇陛下の神格化についていくつか教え込まれたことは語っていた。その内容を私はここに書くことはないが。

私自身は、小学生中学生のころどのように学んだかあまり記憶がない。まあ、その頃の私にとってはそれほど興味湧く対象ではなかったのだろうが。皇室そのものが別世界の物語という感覚があったのだろう。真剣に考えたこともなかった。

やがて高校生になり少し変化が現れる。青年期にありがちな「現体制に対する抵抗」の発露だ。まずは校則に対する疑問が生まれ、反対運動へ賛同するようになる。そのころ東京では大学生が荒れていた。いわゆる全学連が繰り広げた「学生運動」の 時代だ。その影響は地方の高校にも波及し、先輩たちが下級生に対して教室に閉じ込め討論を挑んできた。今考えてみれば「馬鹿なことをやっていたヤツら」である。

いま記憶している彼等の言い分は「間違った世の中では正しいものが間違って見える」というもの。わかったような、わからないような理屈だが。 まあ、そのような怪しげな理屈をこね回して彼等は何をしたかったのか?稚拙な左翼活動なのだが、彼等のうち何人かが夏休みに上京して影響を受けてきたらしい。私はその時点で「くだらねえ!」と思っていたのだがね。

しかしその反面、共産主義に対して興味が湧いた時期でもあった。父に対して「共産主義のほうが国民が幸せになれるのでは?」と話したことがあった。父は即座に否定した。「個人の努力が報われない世の中はありえない」と。私もすぐに納得したがね。そのころ、天皇家という存在についても疑問を持ち始めた時期だった。青春期にありがちな思考だな。

なぜそうなるのか?真理は膨大な知識を身に着けないと覗き込むことが出来ないはずだ。「若者は実態を知らない」この一言に尽きる。瑣末な知識だけですべてを知った気になっている年頃。

やがて働き始め、今に至るまで多くの知識が私の前に現れ、肯定と否定が複雑に入り混じり、政治的思考も絡み合って世の中の事情ってものが少しずつ分かるようになった。だがその間に余り思考の方向性が大きく変化することはなかった。それが急変したのはここ10年ほどだろうか。インターネットの普及とともに、様々な意見が簡単に手に入る様になった。今までボンヤリと常識と思っていたことがいとも簡単に根拠を持って否定されるようになってきた。

常識が常識として存在できなくなったいま、何が正しいのか?を探る旅が続いている。そして、学べばまなぶほど共産党のくだらなさが見えてきた。共産主義ではなく、共産党である。「天皇制の破壊」が彼らの党是の一つである。今は表立って言わなくなっているがそれは確実に彼等の党の目的の一つなのだ。

やがて知ることとなったのが「天皇制」という言葉。これは日本人が使うべき言葉ではない。なぜなら共産党が作った言葉だからだ。天皇家を否定するために「制度」として存在するかのように言っているのだ。皇室は制度として作られたものではない。

大東亜戦争後「人間天皇」という言い方がされるようになったが、戦前は神として存在し、戦後は人間であると宣言された様な言い方で伝播したが、実はそれは間違った考え方だ。戦後作られた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」によるものだ。簡単に言えば日教組、NHK、朝日新聞などがアメリカに指示されてやらされていたことなのだ。その目的は「日本人の劣化作戦」それは戦後72年目の今も続いている。

国旗に敬意を払わず、国歌も歌わない日教組の教師たち。今もなお愚かな思考に支配され続けている。なぜそうなるのか?今も「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の影響下だからだ。大東亜戦争の真実が明らかにされるに従って、私の思考も大きく変わってきた。私達が教育されていたことは大きく事実とは違っている。天皇陛下について知ることと、大東亜戦争を知ることは同時に行ったほうが分かりやすい。戦争時における天皇陛下の立場がよく理解できるからだ。

小林よしのり著「天皇論」は今読んでおいてよかったと感じる内容である。2011年3月11日以降の天皇皇后両陛下の行動は胸打つものが多かった。それまでの私の「天皇」感が明らかに変化を始めた。それまでも否定はしていなかったが、そこに心地よさが加わった感じがするのだ。それはどこから来るものなのか?

小林よしのり著「天皇論」 ではそれが解りやすく豊富な情報とともに提示されている。天皇家、皇族を否定する左翼の言論者達がなぜそうなったかの追求も面白い。戦前、天皇陛下を神と思っていた日本人は少ないという意外な事実も披露されている。その根拠も。なるほど。私の父もその時期に教育されたのか・・・。

小林よしのり著「天皇論」 はBOOK OFFで見つかれば350円程度で手に入る。まあ、騙されたと思ってご一読あれ!新たな発見があると思うよ。 今上天皇陛下は近いうちに退位され、初めて私の年齢以下の天皇陛下が誕生する。その前に知識としての「天皇論」を二日間掛けて身に着けられてよかったと思った本日だ。


本日の結論
日本人であることの意味が分かる本だった。

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



GO TO HOME PAGE