笑顔的精神性

2017年08月05日 笑うべきだという根拠。


2012年2月末の笑顔。



「おおらかに心を保つために」

このところ、夏休みでもありしばらく孫3人が当家に居続けています。長年に渡り子供と接触することが少なかった私にはかなりヘビーな日々です。6歳、3歳、1歳ですから、散らかし放題だし、すぐに泣きわめくし食事させるだけでも大変。小さな子どもが3人もいると食事さえまともに出来ないという娘の嘆きがしっかり体感できましたよ。宵っ張りなので寝かせるのも大変ですし!

しかし、そこで気付くことが有るんです。私は怒ることはないし、常に笑顔でいようとしています。かなり無意識だと思うんですがね。それはどこから来るものなのか?もともと子供が苦手な私にとって笑顔でいられるのは単に孫であるという関係性からなのでしょうか?そこにはもっと深いものがありそうです。

話は今から7年前に飛びます。2010年9月9日、私はアメリカのL.A.に居ました。当時シカゴ在住だった綿貫さんにアテンドしてもらって、ギタリスト Paul Jackson, Jr. に会いに行ったのです。当初、Paul の家で会う予定だったのですが、彼の土壇場での指定変更によりレストランで夕食を一緒に採ることとなりました。Paul は奥さんと娘さんが同行でした。

テーブルに着き、話をし始めて10分位経った頃でしょうか、突然!私の感情というか精神性が大きく変化しました。嗚咽が出始めたのです。何だこれは?と自分でも混乱しましたが、ナプキンで顔を隠し横を向いてしばらくその感情が過ぎ去るのを待ちました。数分後気持ちが安定してから Paul に「突然取り乱して申し訳ない」と詫ました。

それは私のそれまでの4年半に渡る経緯がもたらした激しい感情でした。2005年3月から鬱病の世界に突入し、毎日死を望む日々に疲れ切った私は、2009年に会社勤めを完全に辞めました。2007年秋から自力で禅駆動を造り始めたところ、徐々に広がりを見せ始め、やがて1年後には海外でも知られるようになりました。ちなみに2009年は Paul Jackson, Jr. に最初の禅駆動を贈った年でもあります。それからほぼ1年後、私はアメリカへ行き Paul Jackson, Jr. と直接会うことが出来ました。このときにもまだ鬱病の真っ最中だったのです。

それまでの4年半の苦しい日々が、突然ぶり返し、今目の前で Paul Jackson, Jr. がにこやかに微笑みながら私に話しかけてくるという状況に精神状態が混乱したのです。あの日々とのあまりのギャップに一瞬にして精神状態が混乱したと言ったところですね。その状況すら Paul Jackson, Jr. はにっこり笑って見ていてくれました。実は、彼にも1年前に「私は鬱病の真っ最中である」と伝えていたのです。彼は敬虔なクリスチャンですので「毎日君の回復を神に祈っているよ」とメールで伝えてきてくれました。何度もね。その結果としての面会だったのです。

最後に記念撮影をしました。Paul は笑っていました。しかし私の表情はぎこちないものでした。笑おうとしているけれど・・・たどり着けない・・・そんな感じの表情。その後、多くの有名なギタリスト達と会うことが出来ました。翌日には、Henry Kaiser, Howard Leese, Rechard Thompson, にも会えました。帰国後その写真をみると・・・明らかに私のぎこちない表情が映っていました。


2010年9月の笑顔。

さらに、2012年になり、Larry Carlton や Robben Ford ともお会いして撮影した記念写真の中で決定的な確信を持つことになりました。私は撮影の際に笑っていると自覚していたのです。しかし、目の前の写真にそれが感じられませんでした。何故だ?なにが自分の感覚と写真の映像に映る私との誤差があるのだろう?それに、やがて気付くのです。口角を上げ、歯を見せて笑うべきだとね。そして私はそれ以降の写真の中で歯を見せて大きく笑うようになりました。笑顔だと完全に認識できる表情で写真に映れるようになりました。


2014年 2月の笑顔。

前置きが長くなりましたが、本日の主題はこれです。笑顔がもたらす精神性のことです。いままで、楽しいから笑う、楽しいから笑顔になると思っていました。でもそれは違うと最近知りました。

精神性は表情から生まれると。つまり、笑顔を作るから楽しくなり笑うのだと。悲しみの表情が悲しい精神状態を造り、怒りの表情が精神的な怒りを増幅するのだと。最初はなにそれ?とおもっていましたが・・・ふと過去の色んな場面を思い出して合点がいくと気づきました。

私は2005年から自力で表情を作り出すのがとても難しくなっていました。鬱病の症状です。自分の顔を鏡で見るたびに「こいつは誰だ?」と思うほど表情が死んでいたのです。やがて2012年の夏に Larry Carlton と面会をした直後、一気に鬱病が抜けていきました。7年以上に渡る鬱からようやく抜け出せたのです。その途端、表情が作れるようになりました。自分で意識して笑顔が出せるようになったのです。結果として気分は明るくなり、他人と喋ることが苦痛ではなくなりました。笑顔によって精神性持ち上げられるのを感じました。

何故本日コレを書いているのかというと、孫達を相手にしていて常に笑顔でいると精神性も明るくなり、孫達の粗相に対しても、苛立ちは少なく安定した精神状態でいられるという実感が有ったからです。細かなことをあれこれ言うのではなく、おおらかに心を保つために自分の口角を上げ前歯を少し見せながら笑顔をキープする。後始末は後からゆっくりやればいいのですよ。孫達をいくら叱ったところでなにも解決しないですからね。このおおらかさが人生全般にとても大事だし必要だと感じたここ数日間だったのですよ。

笑顔は意識していないとすぐに忘れてしまいます。猜疑心を持ち眉間にしわを寄せる表情は、さらに猜疑心を増やすだけです。ときにはそれが必要でしょうが、せめて家族や身内、仲間に対しては意識して口角を上げ、笑顔でいつづけましょうよ!


本日の結論
さあみなさん!笑顔をキープしましょう!

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