到達的弐千話


2016年02月25日 到達点の基準に悩むオーダーが!


本日のオーダーはこれだったが・・・!


「他人から信頼された数」

刻々と近づく目標到達点についてご報告しよう。そして思考の実験でもある。

2005年3月、鬱病にズッポリ嵌り込んでしまった私は、それ以降2年間はほとんど身動きが取れなくなってしまった。ダークサイドに追いやられた日々。2007年になり、体が少し動くようになったので4月から仕事に復帰したものの、日々その苦しさから逃れられず、精神的な逃避先を常に探していた。そして見つけたのが「ギターアンプ作り」の勉強だった。動かない頭を無理やり動かして日々の電車の中で研究したが、基本的な知識がなさすぎて教材を読み解けない日が続いた。

そしてある日のこと。ギタリストの是永巧一氏に質問してみた。
「どんな音を目指したらいいの?」その時提示されたサンプルサウンドが「Larry Carlton と Robben Ford」のライブアルバムだった。その時初めて「DUMBLEサウンド」という言葉を耳にした。「そうか・・・あんな音が求められているのか・・・」Larry Carlton は知っていた私だが、 Robben Ford の存在を初めて知ることになった。今から考えれば大笑いだが。

その後、小さなギターアンプを生み出し「楽屋1号」と名づけて50個ほど作ってみた。もちろん、チューブアンプも小さなものを作ってみたが、ある程度のサウンドは出たものの、気に入るサウンドには到達できず挫折した・・・。しばし放置していたのだが突然新しい展開がやって来た。

2007年9月、当時、ネットで繋がっていたシカゴ在住(現在上海在住)の綿貫氏が一時帰国して当家に遊びに来られることになった。綿貫氏が是永氏のファンということを知り、是永氏も綿貫氏の来訪に合わせて当家に集まってもらうことにした。その際、綿貫氏からおみやげとしていただいたのが、オペアンプ「JRC4558D」4個だった。「これで面白いもの作って遊んで下さい!」とね。半月ほど放置の後、オーバードライブペダル製作をしてみようと思いつき勉強を始めた。約1週間で大まかな構造が見えてきたので、材料をオーダーし試作に入った。一度は是永氏のダメ出しを受けつつ・・・。いよいよその日がやって来た!研究スタートから16日目の事だった。


2007年10月24日

2007年10月24日、是永巧一氏に2度目の試奏テストをお願いして禅駆動の初号機は合格を頂いた。それはアマチュアとして私が初めて作ったオーバードライブペダルだった。命名は是永氏が洒落でつけたもの。文字の指定も「墨文字縦書き」であった。当初は私のものと是永氏の2個作って終わる予定の遊びだったのだが・・・。やがて禅駆動は口コミで広がり始め、是永氏の友人達へ次々に提供することになった。その後、もっとゲインが欲しいとの意見も届き弾駆動を開発した。鬱病真っ最中の出来事なので商売として続ける発想は全く無かったのだが・・・。

ある程度作った頃、是永氏からこう言われた「エフェクターは2,000個作れたら大ヒットだね!一流の本物になれるよ!」その後は御存知の通り、様々な有名ギタリストが使用してくれるようになり、月ごとのオーダー数の波は世の経済状態に合わせるように増減あるものの着々と増加していった。

今ではすっかり友人関係になってしまった Henry Kaiser の紹介手配により、2010年には来日した様々なギタリスト達のコンサートに招待され、楽屋で会うことが出来るようになった。この辺りから風向きが少し変わってきた感じがしていたのだが。やがて、苦しみの「2011年東北大震災」を迎え、様々な出来事があり沈み込んだ日々だった。だが・・・。

2011年の11月になり、急激に展開が慌ただしくなってきた。突然、ノルウエーから「Larry Carlton が禅駆動を使っているのを昨夜のライブで見た。私にも作って欲しい!」とオーダーが飛び込んできたのだ。私の知らないうちにそんなことになっていたとは!さらにその同時期、Robben Ford からも「弾駆動を作って欲しい!」と連絡が入ったのだ。なんだこれは?そもそも2007年に「目指すべきサウンド」として是永氏から目標として提示されたあの二人ではないか!自分でも訳がわからない状態に陥ってしまった!

 

やがて、Larry & Robben が使い始めたとの情報がギターマニアの間で急激にひろがり始め、徐々にオーダーの数が増え始めた。そしてついに、2012年2月末の大雪の日、Billboard -LIVE Tokyo で Robben Ford と1回目の面会を果たした。その直後、Larry Carlton とも面会を果たした。この実現により、世に流れていた情報が本当であると認識されたのだろう。さらにオーダーは増えていった。その裏で、ひっそりと株式会社設立の手配を行い、私の還暦誕生日2012年5月14日に「株式会社tanabe.tv」を起業した。

私がペダルを作り続けるうえで欠かせないものが「JRC4558D」あるいは「JRC4558DD」だ。1980年代のオペアンプであるし、今となっては希少品なのでそう簡単に手に入ることはなくなっていた。幾度と無く手持ちが枯渇しかかり「もう作り続けられないなあ・・・」と諦めの境地に陥ることもしばしば有ったが・・・。2013年夏になり、突然「JRC4558D」と「JRC4558DD」の大量発掘に成功した!すぐに交渉して全量を購入した。かなりの財力を必要としたが、私にとっての生命線だった。最終的に約10年分を在庫することと成った。その時点で「JRC4558D」と「JRC4558DD」の探索収集は一旦終わりにした。10年後に私がペダルを作り続けていることは想像できなかったからだ。

あの日、是永氏が言った「エフェクターは2,000個作れたら大ヒットだね!一流の本物になれるよ!」の言葉は「まあ普通は無理だろうけどね・・・」との意味もあったのか?それとも「そこまで頑張れよ!」の意味だったのか?今となってはどちらとも取れるが、私としては遥かに遠い目標として、到達点を「2,000個」に定めていたのだ。

時は流れ、2016年がやってきた。データ上は限りなく2,000個に近づき、カウントダウンを始めた。3月中には到達できるだろうが、上手く行けば2月中かもしれないな・・・。と思いつつ製造を淡々と続けた。そして今週水曜日になり、1,999個目を出荷した。リーチ!そしてついに、2016年2月25日13時23分!2,000個目のオーダーがやって来た!横浜在住の高橋さまである。しかし・・・ここでもう一つの問題があった・・・。

現在、私が作るペダルで使用するアルミケースのうち、ポリッシュアルミケース(シルバーカラーケース)の在庫がなく、メーカーにオーダーしているものの入荷が遅れているのだが、本日のオーダーはそのケース仕様だったのだ。すでにこのケース仕様のオーダーで2名にお待ちいただいているので、これでケース入荷待ちが3名になってしまった!

ここでひとつの問題が発生する。オーダーベースで言えば 2,000個達成なのだが、製造ベースで言えばまだ1,997個。私の気持ちの中で「2,000個と1,997個が共存している」のだ。これではまるで「シュレディンガーの猫」で示される矛盾状態ではないか!(ちがうんぢゃね?)

さて、冷静になって再考してみる。ケースの在庫不足が発生しなければ製造が可能であり、2,000個製造は今夜中に達成できたわけである。そこに疑う余地はない。しかし、物理的に指定ケースでのペダル製造は現時点で不可能である。となれば 2,000個という数字の基準をどこかに定め直さなければならない!オーダー数なのか?実製造数なのか?

と、ここまで考えてきた時にはたと困ったことがあった。そもそも製造数のカウントは正しいのか?という疑問だ。一応の記録上はそうなのだが、その間に記録に残さなかった試作品のカウントはどうするのだ?現に私の部屋にはそんなペダルがいくつも転がっている。そいつらをカウントすればとっくに 2,000 は過ぎている。そこで、改めて是永氏の言った「2,000個」の意味を反芻すると「一人前のペダル製作者として認められる基準」としての数字だと理解すれば「他人から信頼された数」と取れる。それは「オーダー」ベースであると解釈するのが妥当なのだろうな!

ということで熟考のすえに、自分なりの結論を出すことができた!
「2016年2月25日、2,000個目オーダー達成!」パチパチパチ〜〜〜!!!
2007年10月24日から2016年02月25日までの、8年4か月+1日での到達だね!

是ちゃんご協力ありがとう!綿貫さんきっかけをありがとう!
基板を作っていただいている野村社長ありがとう!
材料を提供していただいている多くのメーカーの皆様ありがとう!
日々お掃除担当の妻へありがとう!(最近は基板も組めます!)
そして何よりも、オーダーしていただいた世界中のギタリストの皆様ありがとう!


本日の結論
ケースの在庫が無く本日は製造できないので、こんなこと書いて時間つぶししてみた!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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