突入的九年目


2015年10月25日 あの日から早くも8年が過ぎ!


2007年10月24日の出来事。



「大ヒットペダルといえるのは2,000個以上」

大東亜戦争が終結して、7年後の1952年に私は生まれました。子供の頃は大東亜戦争が遠い昔の話だと感じていましたが、この歳になると7年なんてあっという間です。そう考えると、私が生まれる直前まで戦争は続いていて原爆が投下されたのも私が生まれる僅かに前の出来事だったんですよ。もちろん特攻の方々が散っていったのもね。大東亜戦争がとても身近なものに感じられてきた昨今です。

そういう時間の流れを体感しつつ、本日のお話は毎年恒例のアレです。

私が禅駆動初号機を完成させたのが、2007年10月24日でした。初号機を是永巧一氏に試奏してもらい「OK!」を出してもらった日がこの日でした。今から8年前の出来事。その誕生の経緯は今までにも散々書きましたので、本日はそれには触れず、その後のことを書いてみましょうか。

初号機が完成したその夜に、早くも松川純一郎さんから記念すべきオーダー1号が入りました。販売するつもりなんぞ全く無く遊びで作っていたので、オーダーは驚きの展開でしたね。その後もバタバタとオーダーが続きました。まだまだ不慣れな時期でして、いくつも不良品を作ってしまいました。製作に時間がかかり、とても歩留まりが悪かったですね。ケースも回路基盤も全部手作りでしたから時間がかかりました。しかも、鬱病と闘いながらの日々でした。

2008年6月になり、初めて海外から問い合わせが。アメリカのジャズギタリスト Mr. Shane Conaway からメールが来たのです。とりあえず禅駆動を1台作って試奏してもらうことに。すぐに大絶賛の返事が届いた直後に、彼は Youtube にサンプル動画をアップロードしてくれました。そして、そのYoutube の動画の中で、彼は「これはDUMBLEサウンドだ!」と言い切ったのです。これが海外に広がるトリガーと成りました。この時点で製作数101個目。

Youtube にアップロードされた翌日、世界中のギタリストから問合わせのメールが相次ぎました。恐るべし Youtube !影響力をまざまざと見せつけられました。私はこの事によって徐々に世に知られていくことになったのです。

そして、2008年11月に突然、海外大物ギタリスト Mr. Paul Jackson, Jr. から問い合わせメールが。驚きました!これまたすぐに禅駆動を製作し発送。試奏の結果は大OK!でした。(5年前には LA へ彼と会いに行きましたよ。今ではすっかりお友達ですね)更にその直後の2008年12月に来たオーダーは Mr. Henry Kaiser からでした。その時点で私は彼が何者であるのか全く知りませんでしたが・・・。

Mr. Henry Kaiser が弾駆動を気に入ってから何度もメールのやり取りをして、ようやく彼の全体像が分かり始めました。かなりの大物だってことを知り、さらに DUMBLE AMP. を世に広めた震源地は彼だということも知りました。その後、すっかり意気投合して今も頻繁にメールをやり取りしています。多くのギタリストを紹介してもらいましたし、先月は彼の自宅へ1週間ほどホームステイしました。今年の12月には彼も日本へやってきますよ。



2009年になり、かなり動きが出始めました。イギリスのギター誌「Guitarisut Magagine」に弾駆動が掲載されました。2010年にはアメリカのギター誌「Player Magagine」にも禅駆動、弾駆動など、4種類が掲載。Mr. Henry Kaiser の手配によるものでした。


夏になりこれまた突然、タイのバンコックからオーダーが殺到。一体何が起こったのだろう?と調べてみたところ、どうも大きな楽器屋で密かに弾駆動の試奏会が開催されたようで、その参加メンバーが次々にオーダーしてきたようでした。この年の10月中旬に勤めていた会社を辞めました。リーマン・ショックによる自主的リストラと、鬱病によるストレス過多を防ぐのが目的でしたがね。

2010年になりアメリカのロックスター Mr. Howard Leese から禅駆動のオーダーが有りました。試奏後直ぐに気に入り、BAD CO. のヨーロッパツアーで使い始めてくれました。ツアー終了後、大絶賛のメールが送られてきました。そして9月には LA で面会も実現。10月の BAD CO. 日本ツアーではライブへの招待もありました。

12月には Mr. Henry Kaiser も来日して再会。もちろんライブにも参加。

2011年も順調にスタートしたかに思えましたが、3月の東日本大震災でしばし休業状態に。多くの海外ギタリストから励ましのメールが届きました。

そして2011年冬、いよいよ大転換期が訪れます。

それに気づいたのは、11月にやってきたスウェーデンからのオーダーメールによってでした。そこに書かれていたのは「昨夜行った Mr. Larry Carlton のライブで彼が禅駆動を使っていました。あのサウンドがとても気に入ったので私にも作って下さい」というもの。驚きました!でも、私は Mr. Larry Carlton の為に作った記憶がありませんでした。この件は後日その意味が判明。


2012.02.24 Mr. Robben Ford

同じ頃、今度は Mr. Robben Ford が弾駆動を試奏して、気に入ったので作って欲しいとオーダーが!もちろんすぐに発送し直後に彼のペダルボードに組み込まれました。その画像はネットで広がりオーダーが急激に増え始めました。さらに、アメリカのギター誌「Premier Guitar」で 年間AWARDS に選出されました。



Mr. Larry Carlton, Mr. Robben Ford, Premier Guitar AWARDS, これらが一度に重なったことで、オーダーが爆発的に増加!そこで私は還暦になるのを機会にと株式会社を興すことにしました。



2012年2月、Mr. Robben Ford から弾駆動のバックアップが欲しいと連絡があり、その直後に日本公演があると聞いたので、ライブへ招待してもらい楽屋で手渡しすることに。この時、ツアーマネージャーの Rick が Mr. Larry Carlton のツアーマネージャもしていることが判明。Larry が使っていた禅駆動は Rick が ebay で見つけて入手した個体であると。その後、4月には Mr. Larry Carlton との面会も実現しました。

それ以来、Robben 3回、Larry 4回の面会をしています。お二人共に気に入ってもらえて、多くのギタリスト達が今でも彼等のライブを観た後にオーダーしてくるようになりました。ありがたいことです。2012年は他の多くの来日ギタリスト達と楽屋で面会をしました。

2012年5月、枯渇しかかっていたオペアンプ「JRC4558DDツヤアリ」と「JRC4558Dツヤアリ」を大量確保。約10年分の量を手に入れました。これで安心して製作を続けられる様に。精神的安定も出てきて7年間も苦しんでいた鬱病がすっかり消えてしまいました。

その後2年間は細々とした状況では有りましたが、なんとか順調に仕事は続けられました。やがて禅駆動が Mr. Larry Carlton のお墨付きとなり、彼のペダルボード定位置へ。事あるごとに Youtube やギター誌のインタビューで紹介してくれる様になり、その影響で Larryファンからのオーダーが増えました。



2015年1月。突然やってきたオーダーは、Mr. Jorge Santana からでした。あの敬愛する Mr. Carlos Santana の弟さんです。初めての来日ライブのために作って欲しいとの依頼でした。どうも Larry や Robben から勧められていたようですね。そして、ライブ会場で「実は兄ちゃんもギタリストしてるんだけど、彼も気にいると思うからもう一台作ってくんない?」と頼まれ、快諾。その後、3月になり、無事に Mr. Carlos Santana へ手渡すことが出来たと Mr. Jorge Santana からメールが届きました。とてつもない到達感が有りましたね!

春先になり少し仕事が暇になってきたので、この時とばかりにかねてからやりたいと思っていた英会話のレッスンを受け始めました。3か月間の特訓コースでした。8月中旬に卒業し、その後1か月間ほど自宅で自主的にヒヤリングの訓練を続けていました。少し聞き取れる様になってきたところで・・・。

今年2015年9月には英会話の実践も兼ねて、アメリカへミュージシャンや技術者に会いに行きました。Mr. Henry Kaiser の家にホームステイして充実した1週間を過ごしました。ターナーギターのターナー氏本人に会えましたし、Tow-Rock の Mr. Bill Krinard とも面会できて面白かったですね。彼等と一緒に話していると不思議な感覚にとらわれました。「私は今ここで何をしているんだろう?」とね。この仕事を始めなかったら、英語を使って自力で彼等と話をするようには一生ならなかったはずですから。この歳になって、英会話を学ぼうというモチベーションも生まれなかったはずですしね。


Henry & Brandy に、お土産にした「ゆずぽん酢」が大評判!

自分の立場が今どのようなものなのかは自分自身では余り把握できていません。というのも、当事者としては日々ペダルを作っているだけで、余り全体像が見えてこないからです。ただオモシロイと思ったのは、先月アメリカに行った際、常に弾駆動Tシャツを着ていましたが、多くの音楽関係者と会う度に「あなたのペダルの話は聞いてるよ!」と握手を求められました。嬉しい言葉でしたね。

結局、評判やネットでの情報は本人にコントロールできるものではなく、自然に拡散していくんですね。その経緯の中に何人かの重要な発信源となる人物がいて、彼等が劇的な拡散を実現してくれているのだと。彼等の無償の愛に支えられて今日の自分があるって感覚がとても強いですね。現時点でオーダーが来たのは63か国となりました。一人で作り続けてきただけにこれは信じられない国数です。でも現実ですから。

多くの方々の名前を示しつつお礼を申し上げたいのですが、それも難しい状況になってきました。総括としてのお礼しか申し上げられないのが悔しいですが、多くの協力者とインターネットの力が今の私を支えているのだと認識しております。ありがとうございます!今日から9年目に突入します!

そういえば、是永巧一氏が2007年の開発直後に言っていた言葉がありました。

「これは実力で作り上げたものではなく、言わば交通事故のように生まれたペダルです。
 大ヒットペダルといえるのは2,000個以上。それ以上作れたら本物でしょうね!」

とりあえず、当初からの目標は2,000個です。それまでは作り続けてみますよ。


本日の結論
果たして本物に成れるのでしょうか?

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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