帰省的諸事情


2015年05月09日 そして去る人!



「亡くなられたと」

長いゴールデンウイークが終わり、5月7日にやっと宮崎への帰省から戻ってまいりました。この3日間は、4月分オーダー未製作分を慌てて作っていましたよ。では、記憶を掘り起こしながら記録として連休中のあれこれを書きましょう。ただし、自分の行動記録として残すつもりなので読まれてもあまり面白く無いかと・・・。文体もむちゃくちゃです。ご容赦を!

4月27日朝。
帰省のための荷物をまとめて、トランクに詰め込み終わりようやく準備が整ったのが出発当日10時過ぎ。搭乗するのは羽田発14時15分のJAL。当家から羽田まで車で順調に行けば30分〜40分程度。まだまだ充分時間がありますのでゆったりとしていたところ・・・。空港まで車で送ってくれる予定の妻が、11時過ぎになり洗濯物を干し始めていたのですが突然「左目が痛い!」と訴え始めました。なんだなんだ?妻の眼から涙がポロポロ流れています!

「とても目を開けていられない!」とさらに苦情を訴えてきました!しばらく様子を見ていましたが、どうもこれでは羽田まで車を運転できる状況ではないと判断した私は「悪いけど、日吉駅まで送ってくれる?あとは電車を乗り継いで羽田に向かうから!」と伝え妻は「わかった!日吉までならなんとか送っていく!」健気です。その後、妻は眼科に行き「角膜に傷がついている〜」と判断され薬をもらって痛みが消えたそうです。

私は日吉駅から東横線で横浜駅に向かい、京急に乗り換え羽田国内線ターミナルまで。JALカウンターに到着すれば出発1時間前で何とか間に合いました。おみやげをいくつか買い込み、とっとと出発ロビーへ向かいました。しかし、羽田の宮崎行きのロビーは一番端っこにあるので歩く歩く!まあ健康増進には良いのですがね。



宮関へ到着すれば、そこはどんよりと曇った不機嫌な空模様。16時半ころに実家へ無事到着。母親の顔を拝んで帰省完了!しばらくダラっとして、旧友たちからその夜食事会を開催するとの連絡を受けていたので開催場所の確認を。

夕方になり、仕事帰りの実弟が顔出しに来たのですが・・・。そこで思いがけない事実を聞くことになりました!「義理の父親が入院しているんだけど、もう何日持つかわからん状態だ・・・。4月中の可能性もあるし、ゴールデンウィーク開けまで持つかどうかわからん・・・兄貴は喪服は持ってきたか?」おいおい!初耳だぞそんなこと!すると母までもが「えっ?あんたなんで今まで言わんかったと!」と驚く始末。これが連休明けまでずっと引きずることになるとは・・・。

夜は旧友たちと食事会。一年ぶりの再開でしばし盛り上がる。数年前は会うたびに懐かしさがあったが、こうして毎年同じ顔ぶれだとちょっと飽きてきた感もあるなあ。帰宅後、書棚の中にふと表彰状を見つけました。おおお!母が小学6年生の頃にもらった「健康優良児の表彰状」母は現在87.5歳。元気に歩きまわっているのですが、子供時代から元気だったのですね!しかしまあ、よくこんな戦前のが残っていたものです!



4月28日
朝から天気は悪い。天気の悪い宮崎は魅力半減だね。母は読書家なので、ふと気づけばすぐに本を読み出している。午前中はのんびり実家で母と並んで読書タイム。昼になったので母と散歩がてら近くの「赤江ラーメン」へ。私のラーメンに対する味の基本はこのラーメンだ。だが・・・今回はチャーシューの味がかなり劣化していると感じたなあ。結局行ったのは今回この一回だけでした。帰りの散歩道は緑の堤防を風に吹かれながら。

 

午後も本を読むのんびりタイムが続き、そのまま実家で夕食。弟が釣ってきたというイサキの煮付けを美味しく頂きました。夜になり、弟の家と弟の義理の父の自宅である阿久井邸に顔を出すことに。弟は阿久井邸の敷地内に10年前に家を立てて住んでいるのですよ。母とタクシーで行こうとしたら、急に降りだした雨でタクシーが捕まらず。雨の中を歩いて南宮崎駅前まで行き客待ちのタクシーをやっと捕まえました。

阿久井邸には弟家族も集まっていて、羽田で買ったおみやげを渡しつつ、阿久井さんの容態について話を。まずは明日顔を見に行くことにして一旦帰宅。読みかけの本を帰宅後に読みつづけ、眠れないまま02時まで。

4月29日
父の命日。朝、弟が車で迎えに来て父の墓へ。途中で花を買い、同じ墓地内にあるいとこの墓や母方の祖父祖母の墓を拝む。母は杖もなく元気に階段を登れる健脚具合。



そこで気づいたことが。母方の祖父はなんと58歳で亡くなっていたのでした。私がかつて写真で見た祖父は着物を着てかなりの老人に見えていたのですが・・・。50代であったとは!そうかあ・・・戦争のはるか前に亡くなっていたんですね。


最後に父の墓へ。軽く掃除をして二礼二拍手一礼。神道の手順に従って墓参完了。



墓参後、弟は「鹿屋のバラ園に連れて行く!」と鹿児島鹿屋市に向かって車を走らせ始めました。昨年は鹿屋市の特攻隊ミュージアムへ行きましたが、今回は父が好きだったバラを見に行くことに。



かのやばら園はまだ4分咲きの状態でした。園内は広くて、母も弟もあまり歩きまわる気はなかったようで、入口付近の温室へ入りました。まずは記念撮影!

 

さらに様々な珍しいバラを解説付きで見ました。その中に葉っぱと全く同じ色の花が咲くバラがあり、その目立たなさ具合に驚きましたなあ!


緑の花が咲いているのを見つけられますか?

 

 


昼食はバラ園のレストランで。弟がオーダーしたのは「黒豚バラ丼」おいおい!バラ違いだろうが!と突っ込む私達でございました。少食の母は「お子様ランチを頼んでもいいですか?」とウエイトレスに聞いたところ「もちろん大丈夫ですよ!」との返事で一安心。

鹿屋からの帰り道、田野を通ることになったので、ペダルユーザーの大石さんが経営する洋品店へ顔を出すことに。5分ほどの短い時間でしたが、にこやかに迎えてもらってまた会いましょうと別れました。外は土砂降り。その後、阿久井さんの病院へ向かいました。阿久井さんは起き上がって食事をしていました。奥さんや姪っ子も来ていて、まだまだ元気な感じがしていたのですが・・・。その夜は母と弟と三人で「赤江食堂」定番です。

夜になり、明日からの行動予定を立てつつ iPhone6 Plus で高速バスの切符手配。サクッと予約完了でチケットもメールで送られてきて準備完了!今回、iPad も持ってきていたのですが、 iPhone6 Plus だけで仕事も遊びも処理出来ました。やっと iPhone6 Plus の実力を知ることになりましたなあ!

4月30日
朝早く起きて、南宮崎駅前にある「宮交シティー」へ向かいました。お土産も買いつつ出発時間が来るのを待つことに。バスは土砂降りの中定時に出発。ガラガラです。



これから高速バスで向かうのは「博多駅」です。福岡で会う予定は廣さんと佐野教授の二人。14時ころに博多交通センターに到着すると、廣さんが迎えに来ていました。直ぐに車で廣さんの事務所へ。廣さんとは20年ほど前に仕事で1度会っただけなのですが、最近になりFacebookでつながったことで再会することに。懐かしい話や近況などつもる話をしつつ、あっという間に3時間が経ちお別れの時が。再び車で博多駅まで送ってもらってまた会いましょうとお別れしました。



18時半、待ち合わせ場所に現れたのは佐野教授の奥さんでした。会議が長引いて遅れるのでと奥さんが先に来られたのでした。九州産業大学の佐野教授は、私が務めていた会社の後輩です。いろいろあって、今でも仲良くしているのですよ。美味しい魚料理をいただきつつ近況を話して盛り上がりましたよ。



この夜は、博多駅近くのビジネスホテルで一泊しました。

5月1日
10時半過ぎにホテルをチェックアウト。駅に向かう途中で「博多うどん」を食べようかと探したのですが、見つからず。うどんを諦め11時過ぎのバスで熊本へ向かいました。昼過ぎに熊本交通センターへ到着。まずは今夜行く予定の「スローハンド」の場所を探して熊本市の繁華街「下通り」へ。知っていたつもりが、見過ごしてしまい再度探すはめに。ようやく見つかったので昼食にしようと、更に横道へ回ってみると見つけたのは「桂花ラーメン本店」迷わず入って「五香粉肉ラーメン」をオーダー。大きな肉の唐揚げが入ったラーメンです。肉は美味しかったのですが、麺が・・・。前からこの麺でしたっけ?

 


で、この店の隣が「スザンヌのお母さんがやっているバー」として有名な「キャサリンズバー」でした。外から覗くと、ご本人は居ないようでしたがね。



その後は、歩き疲れたので待ち合わせ時間まで近くのインターネットカフェで休憩。アイスクリームやコーヒー飲み放題、本も読み放題で3時間600円。静かだし、ソファーもゆったりで喫茶店よりはるかに居心地良し!

18時になったのでライブハウス「スローハンド」へ移動。開店直後なので、居たのはバーテンダーのお兄さんだけ。しばし世間話をしているうちにマスターが登場。そのうち、奥さんとアキラくんも登場。そうこうするうちに待ち合わせしていた旧友「奥田くん」がやっと会議から開放されてやって来ました。お店へはお菓子と、Larry Carlton のサイン額入りをおみやげとしてお渡ししましたよ。

 


アキラくんのギター演奏も聞かせてもらって大盛り上がり。アキラくんはこの春やっと中学生になりました。まだ級友たちはアキラくんがギターの達人であることを知らないそうです。ちなみにアキラくんはいじられキャラのようです。たぶん級友たちがこの演奏を聞かされたらぶっ飛ぶんだろうなあ!

深夜になり「スローハンド」から出た私と奥田くんは車で奥田邸へ。奥田くんは酒を飲んでいたので、私が運転代行です。クネクネと一回では覚えられない夜の道を走り無事に到着。奥田邸は自分で建てたログハウスなのですよ。泊まるのは今回で三回目ですね。

5月2日

 


ゆっくり起きて、熊本交通センターへ奥田くんに送ってもらいました。その途中、巨大な「くまモン」を発見!



11時に熊本交通センター窓口へ行きまして、宮崎行き高速バスの切符を買おうとしたところ!!!窓口のお姉さんからこう言われました「予約はされてますか?」「いや、一番早く乗れる宮崎行きのチケットを買いたいんですが・・・」「えっ?本日の宮崎行きは全便満席ですよ!」お〜っとそうきたか〜!どうするんだ俺?



「遠回りでもいいんですが、なんとか宮崎に夕方までに着く方法はありませんかね?」「お客様はおひとりですか?たった今、一席キャンセルが出ました!どうされますか?」「それすぐとって下さい!何時の便ですか?」「14時20分です。はいこちらがチケットです!」ふう・・・ギリギリの大逆転!しばしレストランで休みつつ時間が来るまで待機。

おみやげを買い込み、バスに乗って出発!居眠りしつつ宮崎へ向かいました。気がつけば早くも私が降りる予定の「宮交シティー」着。慌てて降りて、そのまま実家まで歩いて帰りました。20分後に自宅へついた瞬間気づいたのです。あああ・・・お土産をバスの網棚に置き忘れてしまった・・・。この感情は後々引きずるとまずいので、とっとと忘れることに!はい、忘れました。

19時に待ち合わせしていた宮崎大学の長田教授と会うことに。長田教授もペダルオーナーです。いつもの福浦くんや吉田くんも一緒に飲みつつ深夜まで話し込みました。

5月3日

で、この日記を書きつつなんだか記憶の時系列が鮮明でなくなりました。これから先はあまり時間軸がしっかり書け無さそうです。

阿久井さんの容態が4月30日からかなり悪化し、別室に移されたと弟から報告があり、お見舞いに向かいました。意識が混濁し、自律呼吸するのが精一杯と見えました。私の父が亡くなる1週間前の状況と酷似。時間との戦い。

その後、私と弟と母の三人で近所のうどん屋へ。昨年までは帰省するたびに朝ごはんはうどん屋にしていたのですが、糖質控えめの食事を心がけているので、今回は初めてのうどん。フワフワと柔らかいうどんです。ごぼう天と卵を入れて頂きました。だしが効いた塩味が旨い!


遅めの午後になり、福浦くんを誘って宮崎市の中心部で開催されていた「ゴジラ展」を見に行きました。特撮撮影時の美術の設計図なども多数あり、イニシエの特撮映画を懐かしみました。この時着て行ったのは ゴジラ好きの Mr. Henry Kaiser からかつてプレゼントされたオリジナルTシャツ!



5月4日

朝から雨の宮崎方面。母と二人でずっと読書を続けていましたが、気になったので夕方になり阿久井邸へ顔を出すことに。阿久井家の親族は全員集合していました。全員一度に顔を合わせたのは私も初めて。飲み物を買いに近所のショッピングセンターを覗いてみたところ、宮崎マンゴーが並べられていました。しかし・・・この値段ではおみやげに買うのも躊躇しますね。

 

この夜は、阿久井邸で自家製チキン南蛮を美味しく頂きました。

5月5日

こどもの日は久々に晴天!日差しは暑いのに風は涼しく心地良いのですよ!例のごとく母が「散歩に行こう!」と誘うので、午前中はブラブラと近所を歩きまわりました。様々な花が咲き乱れ、美しい季節ですね!

昼からは、福浦くんとまたもや出かけました。まずは昼飯。ざるそばの大盛りを一気に頂きました。そしてその店で見たメニューに書かれている文字に「なにそれ?高級って何?」とツッコミを入れておきました。


一旦、福浦邸に戻って一休み。椅子を出して庭先でしばしのんびり。名も無き雑草の花がいくつも綺麗に咲いていました。と・・・書いたところでそれは私が知らないだけの話だと気づきました。雑草なんて名前の植物があるわけはないですね。


次に福浦くんと向かったのは、宮崎港で行われているお祭り。そこに「しんかい6500」の母船が来ているとの情報でした。行ってみるとすぐに母船に乗ることが出来ました。船内の順路をめぐり様々な施設を見せてもらいました。操舵輪はもうこんな形になっているんですね。最新の操舵輪は更に進化してジョイスティックだと聞きました。

 

順路を巡って最後に辿り着いたのは「しんかい6500」の現物。外装の一部がスケルトンになっていて、内部構造まで見ることが出来ました。さらに係員から様々なうんちくを仕入れましたよ。


この夜は、母が「焼き肉を食べたい!」というので弟と一緒にいつもの焼肉屋へ。母はロースを食べていましたが、私と弟はひたすら「ホルモン」をがっついていました。宮崎牛はホルモンもジューシーで旨いのですよ!



帰宅後はまたもや、母と一緒に読書三昧。
そうそう、母が最近撮影してもらったという「遺影」用の写真を見せてもらいました。えっ?これ?何歳に見えるんだよ!と驚きです。大阪に遊びに行った時、従兄弟が写真スタジオに連れて行ってくれたそうですが、メイクをこってりやられたとか。ちなみにフォトショップによるレタッチはしていないとか。これで87.5歳・・・ほんとかね?



5月6日

朝からさらに読書三昧を続け、午後遅くになり弟が車で迎えに来ました。父方の祖父の墓参りに行きつつ、西都市の鰻の名店「入船」で連休最後の夕食を楽しもうとの魂胆です。今までに2回トライしたのですが、いずれも客が並びすぎていて入ることができませんでした。連休最後の夕方なので空いているだろうとの読みでした。


久々に来てみると、綺麗に墓地全体が整理されていました。


空いていたので、やっとうなぎにありつけました!

しかし、長年関東地方に住んでいると、蒸しのないうなぎの蒲焼きはどうも「違う・・・」と感じてしまいました。もうすっかり関東風の舌になっているのですねえ。私は・・・。

帰りには近所の温泉に入り、さらにその近くに住んでいる親戚へ顔出しして来ました。20数年ぶりの顔合わせでしたね。実家へ帰宅すれば、今回の帰省の行動は全て完了!明日の出発の支度をしてからまたもや読書です。

5月7日

タクシーで空港へ向かうと、晴天の宮崎は少し雨がぱらつき始めました。定時より10分遅れで飛行機は飛び立ち、うたた寝をしている間に羽田へ到着。妻が迎えに来てくれました。眼はもう大丈夫のようです。


その後・・・。
5月8日朝方に阿久井さんが亡くなられたと弟から連絡がありました。5月10日告別式。


本日の結論
故郷では「死」が日常として会話されている感じがしました。

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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