免許的刀消滅


2015年04月24日 いくつかの出来事!

2015-04-21 for Driver Lisence



「私の代で消滅したのでした!」

さらに10日ぶりのご無沙汰です。今日もまた懲りずに雑談を。

去る4月21日のこと。
誕生日が近づいてきたので通知が来て、5年ぶりに運転免許証の書き換えに行ってきました。混むだろうと朝イチで警察署に到着したら、なんとその時間帯の書き換えは私一人だけ。更新手続きは視力検査を含めて簡単に終わり、次は講習会。といっても受付のすぐ前にある狭いブースで古い講習ビデオを見せられるだけ。で、ビデオが終わると講師が入ってきて15分ほど私一人に対して安全講習が行われました。受講者は私一人、しかも目の前の講師と膝を突き合わせでね。その距離は約1mしかありません。笑っちまったのはその講師が度々私一人しかいないのに「みなさんはウンヌン」と複数形での講義をすることでした。マニュアル通りというか・・・。受講者が一人を想定していない原稿といいますか・・・。なんか違和感がありましたなあ。今朝撮影した免許証用写真は上のやつ!

もう一つ笑えたのが、安全講習用のビデオを見せられたモニターがブラウン管のスタンダードなやつだったってこと。何年ぶりだろ?こんな古いTVの画面を見るのは。いくら税金で作っているからといっても、もうそろそろ講習ビデオも作り替えたほうがいいんじゃない?もちろんテレビそのものも取り替えたほうが・・・。どうせ、そのテレビも寿命から考えると、この先そう長くは持たないと思うけどね。

無事に1時間ほどで全て手続きと講習も終えて、警察署から出ようとした時のこと。
玄関まで来てふと思い出したことがありました。かつて父の遺品の中から見つかった、刃渡り60cmの日本刀があり、母も始末に困り私がしばらく預かっていました。もちろん警察に提出しようと考えていましたが、受け取ったままクローゼットに放置していてすっかり忘れていたのです。

署の出口でふと刀のことを思い出したのですよ。そこで目の前にいた、ごっつい感じのベテラン警察官にその旨を伝えましたところ「最近よく軍刀や拳銃が見つかるんですよ!」との返事が。戦時中に入手した所有者が続々亡くなっているんでしょうね。すぐに生活安全課に案内され、少し若目の刑事に事情聴取されました。
どこで誰が発見したのか。母の名前と住所、生年月日、もちろん私の住所と名前、電話番号も伝えたところ、更に細かいことを色々聞かれました。あああ・・・この対応では情報提供者の協力を失うなあ・・・。と思いつつ答えましたがね。日本刀を当家まで警察が引き取りに来るというので自宅待機することに。

やがて午後15時半になり、生活安全課の私服刑事が2名当家を訪問しました。私はすでに日本刀を玄関先に用意して待機していました。笑いながら「とっとと持って行って下さい」とすぐに渡して、書類2枚を受け取り署名捺印。その書類には、押収した日本刀や銃器の詳細を記述する欄があったのですが、そこの刑事が書き込んだのは「刀」の一文字だけ・・・。なんだかなあ・・・。

そこへ妻がやってきて「私は中身を見たことがないんですよ。一度見せてもらってもいいですか?」と。すると刑事はすぐに鞘から刀身を抜き出して見せてくれました。かなりサビも浮いていましたね。更に妻は「いつ頃のものでしょうねえ?」と興味津々。刑事は「これは江戸末期の作ですね。多分幕末あたりでしょう。この刀は人を切った経歴がありますね!」と言い放ちました。

えっ?なにそれ?「どうして人を切ったと分かるんでしょうか?」と私が質問すると「このサビの出方は人を切った時の出方ですよ。刀は血が付着した場合、しっかりメンテナンスしないと拭きとっても血の中の僅かな鉄分と反応して長い時間をかけて錆びていくんです。日本刀の手入れって難しいんですよ」

なるほど・・・。時代劇で見る「武士が口に和紙をくわえて、トクサで刀を磨くシーン」はそのような意味があったのですねえ!もし、この日本刀を研ぎに出して仕上げ直し、きちんと登録して保持しようとした場合、研ぎの代金だけでもかなりになるうえ、刀の美術品的価値そのものも大したことが無さそうなので大損するのでやめたほうが得策だと知らされました。ちなみに、この刀はこの後の処分としてドロドロに溶かされるのだとか。こうして、祖父から父へそして私へと受け継いだ日本刀は、私の代で消滅したのでした!


本日の結論
妻の一言「あああ〜〜〜さっぱりした!」

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