読了的反戦本


2010年11月14日 久しぶりのドキュメンタリー本!


広告依頼主は内閣情報局。仕事は戦意高揚を図るポスター制作など。
山名文夫、新井静一郎ら「報道技術研究会」の精鋭たちが取り組んだ、
最前線の成果から考える、戦争の悲しい宿命。


「奇妙な倒錯感」

かつては、かなりの数の書評を書いて来た私だ。年間100冊の本を読み、その記録と書評を書き続けた年もあった。正確に言えば「書評」には成れない程度の雑文であったのだがね。そんな私に一人の小説家の知人がいる。今となっては「知人」や「友人」と言うだけで済むかは自分でもよくわからなくなっている人物なのだが。その作家の名は「馬場マコト」である。あえて呼び捨てにした。書評を書く際に今まで敬称を付けたことが無いからだ。ご理解いただきたい。ちなみに「馬場マコト」は本名である。小説執筆時のペンネームは「馬場真人」だ。

さてそんな馬場マコトが14年ぶりに本を出版した。白水社刊「戦争と広告」だ。本年8月20日に刊行された本で、私に「著者謹呈」として届けられたのは10月23日のこと。ちょっとした手違いで当家に発送が遅れていたということだった。いつもであればすぐに読んで感想を述べるところだったが、例の「BAD Co.騒ぎ」があり、バタバタとした日が続いていた。さらに片品村に出かけたり、その後もこまごまとした作業があり、なかなか読み始めることが出来なかった。

私の読書は「一気読み」を信条としている。そのためにはまとまった時間が必要だ。少なくとも半日は没頭できるスケジュールの隙間を見つけなければならない。実は昨夜「弾駆動」のオーダーがあり、本日製作するつもりだったのだが、それを前倒しにして昨日深夜までに作り上げておいたのだ。これで翌日は、丸一日の時間確保が出来た。読む気力満々でスタンバイOKだ。

11月14日昼から夕方にかけて一気に読み進めた。「読了後、何を書くべきか?」と思考するうちに、すでに新聞を始めとして多くの書評が書かれている事実があることに思考が至った。ちなみに「馬場マコト 戦争と広告」をキーワードに検索してみると、約5020件と出て来た。いくつかを拾い読みしてみたが、どれも同じようなものだ。書く内容がほぼ同じになるのであれば、私が書く必要はまったくない。それなりのプロの読み手が書いた立派な書評が山ほどインターネット上に転がっているのだ。皆さんも検索してお読みいただければ一般的書評はそれで充分だろう。

と・・・これで終わってよいのか?との疑問が浮かぶ。

全く違う視点で私が「戦争と広告」を書いてみるとどうなるのだろうか?「書評」を書くという観点をヤメて、私自身がどの様に著者と関わり、そしてこの本の中に何を見たのか?それを書くべきではないのだろうか。私でなくては書けないものにしなくては意味が無い。ということで、ここから先に書く内容は、まだ何一つ頭の中に浮かんではいない。音楽で言えば「ジャズ・インプロビゼーション」のように思い浮かぶまま書き連ねてみよう。果たして上手く行くのか?

まず著者と私とのかかわり合いついてだ。私の記憶を探ると、初対面は1980年頃である。赤坂の某広告代理店での打ち合わせがその瞬間だった。私はテレビコマーシャル制作会社に勤務していた。当時、私の上司が馬場マコトと仕事でLAロケに行く予定だったのだが、上司の仕事が重なったために私が急遽その代打として参加することになったのだ。それ以来、30年に渡って広告代理店のディレクター馬場マコト及び、小説家の馬場マコトとの付き合いが続くことになる。

私たちは多くのテレビコマーシャルを作り出したが、それをここで数え上げても意味は無い。ここで私が述べたいのは、広告の世界で長期間に渡り共同作業者として協力しあうために必要なモノを馬場マコトが持っていた事実である。

広告を作る際のヒエラルキーは、分かりやすい。スポンサー > 広告代理店 > 広告制作会社 の順である。命令系統の並びである。金の流れの順でもある。それ故に広告代理店の存在が、広告制作会社にとっては生命線となる。すなわち、広告代理店ディレクターの技量、あるいは対応、さらには意思によって「ひどい仕事」になるか「おいしい仕事」になるかが決定するのだ。

馬場マコトの技量や対応は、私がつきあった多くの広告代理店担当者の中で超A級であった。私を出入り業者として扱ったことは一度も無い。私と広告業界で共存することを必然として認めてくれた貴重な人物である。人は信頼されれば、それに応えようとする。逆に信頼できなければ遠ざかることになる。かくして彼との関係は広告業界人として長く続き、さらに私がCM制作現場から遠ざかってからも長い付き合いが続いているのだ。

このスタンスを知る私が「戦争と広告」を読むと、ドキュメンタリーではあるが、その視点に制作者としてのそれをかなり強く感じる。馬場マコトは「仕掛け」の人である。さまざまな手法を生み出し広告を作って来た。「戦争と広告」の中にその仕掛けは施されているのか?無意識のうちに私はそれを探していた。

これはまったく本人が意図していないことだと思うのだが、一方的に私が仕掛けだと感じたことがある。それはこの本の構造についてだ。まず「本編」があり「あとがき」があることは通常の出版物と同じである。しかし、私が読み終えた瞬間に感じたことは「本編」は「序文」であり「あとがき」が「本編」ではないのか?という奇妙な倒錯感だったのだ。

「戦争と広告」には、私が生まれてからこれまでに知った名前がいくつも登場する。母はずっと「暮しの手帖」を愛読していた。私も幼い頃からずっと面白がって読み続けていた。それが今になって「戦争と広告」のなかで私とリンクした。

この本のドキュメンタリー部分にこれ以上私が言及することは全くない。丹念な取材で積み上げたドキュメンタリーだ。読めば分かる。「戦争と広告」は広告を介した新しい視点の「反戦本」である。その視点で読み終えると、あとがきの最後の2行が「戦争と広告」の中で私にとって一番印象に残る文章であった。そして、この2行にある想いの事実は私が長い期間を馬場マコトと過ごした中で、彼から一度も語られることが無かった事実でもある。その部分をここで引用して書くことを私は必要としていない。

時代と並走せざるを得ない宿命の広告屋たち。良きにつけ悪しきにつけ、彼らはその時代の要求に応え続けざるを得ない。著者は反戦の意思を示しながらも、時代が要求すれば戦時広告を作ると言い切っている。広告の本質がそこにある。故に戦争は絶対に避けるべきだと。

広告が「死」を要求することはありえ無いはずだ。だが「戦時下の広告」は国民に「死」を促し覚悟させる行為でもある。私は鬱病にかかって初めて「死」を自分のものとして意識した。鬱病患者にとって、ある時点で「死」は甘美である。4年前、私は「死」を受け入れようとした瞬間があった。その時の感覚は終世忘れない。では、戦時広告によって生まれる、あるいは錯覚させられた「必然死」は何をもたらすのか?それは「甘美」なのか・・・?

馬場マコト様!著者謹呈ありがとうございました!


本日の結論
8ページのあとがきに感謝!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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