六弦的魔力了

2009年11月11日 これが結論!


「2009年11月11日 了

2002年冬、11月22日にその悪夢は始まった。押し寄せる「嘘」と「反故」の嵐!あの日、Martin D-45をWEBオークションで落札した瞬間から、倉庫 番(くらこ つがい)はオークションの裏で蠢く深い闇に巻き込まれ、苦悩が始まった。以来、納品されることなく、返金されることなく日々は過ぎて行った。自ら招いた災いであると後悔の日々が続いた。やがて状況の裏側が見え始めた時、倉庫 番は戦い抜く意志を持ち始めたのだった・・・。そして、出品者からの返金が少しずつ始まった・・・これは、平成不況から脱しようともがく日本経済の逆風の中、果敢に謎に立ち向かっていった男の物語である。そして・・・今回でその結論が判明する!

♪〜〜〜風の中のす〜ばる〜〜〜〜〜〜♪


私家版

プロジェクト
HEX(ヘックス)
「D-45を追え!完了編」


今となっては古い事件になってしまった・・・。2009年11月。倉庫 番は過去を振り返ってみることにした。あの事件はどのように終結したのか?その結果をこの数年間明確にすることは無かった。そこで今回は最終回として結末を記すことにした・・・。 

倉庫 番(くらこつがい)は、最初に振り込んだ金額を2年半後に回収することが出来た。さらに金利分として要求していた金額は加えられること無く、ほんのわずかに3,000円が余分に帰って来ただけだった。そして、出品者とはそれっきり連絡が途絶えた。「あいつはきっと同じようなことを繰り返して生きていくのだろうな・・・」と倉庫 番はつぶやいた。

全額返済が完了した時点で、すでに倉庫 番のD45に対する物欲は消え果てていた。と同時に、新たなる物欲が芽生え始めていた。それは「D.T.McNaught」セットスルーネックと呼ばれる構造のネックを持つブティックギターだった。サスティーンが長いことでも有名なギターだった・・・。そして高額だった・・・。2005年8月倉庫 番は出物を探し始めたがそれはすぐにオークションで見つかった。

出品価格は、倉庫 番の手元に戻って来たD45の金額より安かった。とりあえず「帰って来た金は一度無くしたものだと考えれば、その金額までは入札できる!」と倉庫 番は決意した。オークション最終日となったが、既に誰も入札を追いかけてくるものはいなくなっていた。最終落札価格は倉庫 番が考えていたリミットより1万円低く、倉庫番が無事に落札することが出来た。やがて届けられた「D.T.McNaught」はダイアモンドキルトがTOP面にびっしりで美しい姿を見せていた。新品状態で、日本の定価レベルで言えば120万円程度のギターである。


入手後、1週間目のことだった。このギターを使って、ジャズギターのレッスン曲を弾いていた時だった。倉庫 番は3弦5FのC音が伸びないのに気づいた。「なんだこれは?」他の弦で弾いてみると20秒以上のサスティーンが得られたが、3弦5FのC音だけが3秒しかないのだ。あきらかにデッドポイントであると判断した倉庫 番は対策を考察し始めた。だが、その対応策は根本的な解決にはならず、出品者にトラブルの事情をメールで送った。

やがて出品者は、倉庫 番の自宅に駆けつけてくれた。デッドポイントの確認をした出品者は倉庫 番と細かな対策を練り始めた。そして取った解決策は「D.T.McNaughtに送りつけ、修理を要求する!」であった。ギター職人であればプライドがあるはずだ。何らかの解決策を提示するはずだ。アメリカへ発送し、1週間後D.T.McNaughtから返事が来た。「このギターのデッドポイントは確認した。明らかに木材の組み合わせのトラブルだろうから修理は出来ない。代わりに、あなたが望むスペックのギターを作って送るので、知らせてほしい」とあった。

これは・・・!信じられない展開だった。倉庫 番はそこにギター職人のプライドを観た気がした。すぐに理想とするスペックを組み立て、メールで送った。本来であればディーラーからオーダーすれば140万円の定価がつけられるスペックであった。果たしてこれをD.T.McNaughtは受け入れるのか?

D.T.McNaughtの反応は早かった。「このスペックで製作するので3か月待ってほしい」とのメールが届いた。アメリカの職人のスケジュールをどこまで信用するのか?いささか不安な部分もあったが、倉庫 番は気長に待つことにした。すでに、2年半の長い待ち時間を通過したばかりなのだ。今更3か月が待てないはずは無い。

やがて3か月が過ぎたその日、2005年11月。前触れも無く突然大きな荷物が倉庫 番宛に届けられた。中身はもちろん「D.T.McNaught」ギターだった!ケースを開けてみるとそこには倉庫 番が理想とするスペックのギターがあった。3か月前に送ったスペック通りのギターだった!アメリカの職人はキッチリ約束を守ったのだ!喜びに感情がこみ上げて来た。倉庫 番の人生でオーダーでカスタムギターを作ってもらうことは夢だった。それが、思わぬ形で実現したのである。オークション詐欺がこのような形で終結することは全く誰にも想像できないことだった。現実は小説より奇なり!



やがて事件は風化する。だが、こうして文章化し残すことでそれは記録と記憶に残り続ける。

長い苦しみの末にたどり着いた意外な結果。これは倉庫 番(くらこ つがい)の人生にとって何だったのだろうか?多くの苦しみはやがて癒される時が来るという証なのだろうか?4年半に渡る鬱病生活から抜け出せたのも、この事件がもたらした「努力し待ち続ければ、やがて時間が解決してくれる」という教訓があったからなのか?

2009年11月11日 了




本日の結論
読了、感謝いたします!

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