六弦的魔力実

2004年03月05日 画像は送られるのか?


この幻を追い続け28年目。

「実像」

2002年冬、11月22日に悪夢は始まった。押し寄せる「嘘」と「反故」の嵐!巻き込まれた倉庫 番の苦悩。自ら招いた災いであると後悔の日々が続いた。やがて状況の裏側が見え始めた時、倉庫 番は戦い抜く意志を持ち始めたのだった・・・。これは、平成不況からやや息を吹き返そうと喘ぐ日本経済の逆風の中、果敢にWEBオークションの謎に立ち向かっていった男の今日の姿である!

♪〜〜〜風の中のす〜ばる〜〜〜(今回はヒップホップバージョン!←クリックすると音楽が!)〜〜〜♪


私家版

プロジェクト
HEX(ヘックス)
「D-45を追え!実像編」

それでは確認のため以下の件を早急にクリアして下さい。
毎日店長に会っているのなら問題なくできるはずです。
デジカメが無いとの言い訳は通用しませんよ。
使い捨てカメラを買えばすむんですから。

倉庫 番は細かい撮影条件をつけ「画像を撮影し送れ!」のメールを送りつけた・・・。その条件とは・・・。

1 店長とD-45さらに●●さんが一緒に映っているなるべく大きな画像。

2 本体にあるD-45のシリアルナンバー撮影。

3 ブリッジ周辺のふくらみが発生していないかどうか確認できる画像。

4 12フレットの弦高が分かるような画像。

5 全体に渡る傷の具合が分かるような画像。


前回の出品者からの電話連絡では「2月末が店長も決算なのでそれまでに何とかする」と言っていた出品者だった。3月末ならともかく、2月末の決算なんぞ日本の会社ではほとんどあり得ない状況だ。倉庫番はその言葉を全く信じていなかった。直後に送った「画像要求」のメールに対し出品者の返事はすぐに来なかった。当然の反応だろうと倉庫 番(くらこつがい)は思った・・・。恐れているはずだった・・・。

2月下旬、倉庫 番はとあるギターのオークション出品を見つけた。新規の出品者だった。3本のギターを出品していた。どれも高額のギターだった。オークション詐欺の気配を感じた。特にその中で「PRS SANTANA2」に目が止まった。PRS愛好家には垂涎のギターだった。説明文によると、楽器屋で49万円で購入したとあった。ところが、このギターは注文生産で定価118万円。新品状態が楽器屋で49万円と言うのは、マニアには常識的に考えられない販売価格だった。しかも低価格からのオークションスタートだった。詐欺の臭いが充満していた・・・。

やがて、3日程して同じギターの画像が別人のオークションに出されていた。しかも価格は「1円」だった・・・。なんだこれは?倉庫 番はそのページを丹念に観た。そこには笑える結果が待っていた。別人はそれが「詐欺出品」であることを発見し、告発の為にあえて1円出品をして「入札されても石ころしか送りません!」と挑発的なことを書いていたのだ!さらに、その「PRS SANTANA2」の画像の出所までリンクが張ってあったのだった。倉庫 番はリンクを辿ってみた。

行き先は「ebay」のオークションページだった。アメリカではギターが盛んに取り引きされているオークションサイトだった。確かにそこには同じギターの画像が並べられていた。日本からのアクセス者も多い。登録会員の中にもギター好きの「ebay」常連達がいた。今回の詐欺出品は、最近の「PRS人気」に乗じた人物が企てたようだ。張本人のオークションページはその時点ですでに消滅していたが・・・。バレたことに気付き慌てて逃げたのだろう。

倉庫 番は、今まで自分で気付いただけでも確実に6人のギターオークション詐欺を目撃していた経緯がある。その中には、明らかに「六弦倉庫」の画像を使った詐欺オークションもあった。すぐに攻撃に転じ潰しておいた。WEBオークションの世界には、性懲りも無くまだまだ多くのバカが棲みついている現実があった。

2004年3月2日 夜のテレビニュースでは京都府の養鶏場問題が大きく報道されていた。20万羽にも及ぶ大量処分は単なる一養鶏場の汚染だけでは無く、その養鶏場から出荷された鶏インフルエンザの可能性がある鶏や卵が、すでに全国23府県に渡り拡散してた。行政の対応の遅れ・・・。国家的汚染状況だった。周辺住民も不安を抱えていた。鶏肉や卵は過熱することで食用に問題は無いと言われている。だが・・・消費者の不安はそのような情報だけで緩和できるはずも無かった・・・。

テレビニュースには、記者会見を開く養鶏場社長と会長の姿があった。倉庫 番は関西弁で陳謝と言い訳の言葉を述べる会長の年老いたその声に、どこか聞き慣れたものを感じた・・・。人をなめたような、はぐらかすような信用できない「大嘘」を感じさせる関西弁のイントネーションに、あの出品者の関西弁が脳裏でダブった。まさにあのイメージの声だった・・・。

2004年3月3日朝。出品者からメールが届いた。

「おはようございます
 以下の 件 了解しました。
 多分 本日は 店長が 公休ですので 明日 撮影しまして
 明後日までに 添付します それから のびのびですが
 3月 20日が 決算とのことでしたが
 何とか クリア できますので よろしく お願いします」


日本語文法が乱れたメールの中で、写真撮影の件を出品者は了解していた。2日後に添付して送ると書いてあった。届いたとしても5日過ぎか。この事態に陥り、出品者は倉庫 番を信用させるためにはもう写真撮影の拒否はできなかったのだろう。だが、たとえ本当に画像が送られてきたとしても倉庫 番の追求の手が緩むことは無いはずだった。そして、いつの間にか決算日が3月20日に変化していた。またしても時間稼ぎ・・・。

倉庫 番の画像要求はD-45の画像を手に入れることが本来の目的ではなかった。要求に対し出品者がどのように反応するのかを確認するための行為でしかなかった。そして、最大の要求ポイントは「出品者の実像」だった。倉庫 番はわずかでも証拠を押さえておきたかった。出品者の実像を曝す・・・。さらにそれは「傍観者」達の欲求を満たす行為でもあった・・・。

倉庫番にとっては今まで全てがバーチャルな出来事だった。バーチャル空間でオークションが成立し、バーチャルな世界で交渉は続いていた。電話で話したケースでさえ、聞こえてきたのは実は電気的に変換されたバーチャルな声でしかなかった。振り込んだ金額もATMが表示する数字の羅列に過ぎなかった。出品者に送りつけた病気見舞いさえも、単に伝票に住所を書き込んだだけだった・・・。

D-45の画像が送られてきた時、PC上で観た場合それは「実像」なのか?それとも「バーチャル」なのか?倉庫 番の中でその判断が出来なくなりはじめていた・・・。ネットオークションは、商品が手許に届くまでは統べて架空の出来事だと感じられる要素を持っている。現金と落札商品を実際に顔をあわせて交換する行為ができる環境であれば、それが一番幸せな状況なのだろうが・・・。倉庫 番は最近オークションを眺めていても、どれもが怪しく感じられるようになっていた・・・。

2004年3月4日朝。その画像添付メールは突然押し寄せてきた。
予期しない出品者の早い動きだった。店長は休みではなかったのか?

「日付を入れて 撮影しました
 シリアルは メーカーの テープで 隠れていますので 到着後 はがしてください」

13枚の画像が添付されていた。倉庫番は丹念に観続けた。それは3月3日に撮影された画像だった。しかしその中に倉庫 番が要求していた店長と出品者の画像は存在していなかった・・・。やはり出品者は躊躇したか・・・。いくつかの画像はリサイクルショップのロゴが見えている場所で撮影されていた。確かにD-45は存在するようだ・・・。そして・・・画像の観察を続けるうち、倉庫 番はそこにある気配を感じ始めたのだった。

「もしかして、これは・・・」

目の前の画像によって、倉庫 番が今まで組み立ててきた出品者の動きの推理に狂いが生じはじめていた!これはどういうことだ・・・どういうことなんだ・・・。倉庫 番は記憶を遡りはじめた・・・。そして、かすかな記憶を確認するため過去のデータを洗いなおした。やがてそこに、驚愕の事実が浮かび上がってきたのだった! 倉庫番はその瞬間、目眩にも似た感覚に揺さぶられていた・・・。










*このストーリーは、現実をモチーフにしたフィクションであり、
 登場した個人名、団体名、地名、商品名等は架空のモノです。
 ひょっとして実在するかも知れませんが・・・!(なんだよそれ?)



本日の結論
さて、何が起こっているのか?想像してみよう!
岡山県岡山市在住の現地調査協力者を引き続き募集中です!

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