六弦的魔力画

2004年02月29日 画像が明らかになるのか?


この幻を追い続け28年目。

「証明」

2002年冬、11月22日に悪夢は始まった。押し寄せる「嘘」と「反故」の嵐!巻き込まれた倉庫 番の苦悩。自ら招いた災いであると後悔の日々が続いた。やがて状況の裏側が見え始めた時、倉庫 番は戦い抜く意志を持ち始めたのだった・・・。これは、平成不況からやや息を吹き返そうと喘ぐ日本経済の逆風の中、果敢に謎に立ち向かっていった男の戦い続ける今日の姿である!

♪〜〜〜風の中のす〜ばる〜〜〜(今回はカリビアンバージョン!←クリックすると音楽が!)〜〜〜♪


私家版

プロジェクト
HEX(ヘックス)
「D-45を追え!画像編」

そもそも何が「D-45事件」の切っ掛けとなったのか?倉庫 番は2年前を振り返っていた。

人間(人生)五十年。
下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。


2002年春、倉庫 番は50才を迎えようとしていた。確実に人生の半分を終えた気がした。その昔なら人生そのものが終わってしまう年月だった。そして・・・3月末・・・体重を計って驚いた。怠惰な暮らしはいつの間にか体重を80kgにしていた。その春、あわてて減量を始めた。小さな増減をくり返しながら、着実に体重は減少していった。目標であった10kg減量がいつしか夢ではなくなっていた。

やがて9月になり、もう一つの夢だった住宅ローンを完済した。さらに体重は刻々と減少を続け、11月には年内にほぼ目標に到達できる確信が持てた。この時、倉庫 番は「年齢、ローン完済、ダイエットの成功」これら全てを含めた「人生の御褒美」を自分に与えようと思いはじめたのだった。そこで目を着けたのが「D-45」だった。永い間憧れていたギターだった。そして、オークションで落札・・・。やがて地獄が見え始めた・・・。

ところで、切っ掛けとなったダイエットはその後どうなったのだろうか?2002年末にはついに69kgまでの減量に成功していた。-11kgの減量成功だった。
だが、D-45事件のストレスはその体重の維持を阻んだ。いらだちを押さえるため、少しずつ倉庫 番の食事の量が増えていった。1年後の2003年末、体重は77.5kgにまで戻っていた・・・。何のための一年もかけたダイエットだったのか?倉庫 番は気を失いそうだった・・・。

2004年正月。倉庫 番は新たなダイエットを決意した「5月の健康診断までに再び70kgを切る!」目標は4,5か月で-8kgだ。これは可能だろうか?月間2kgの減量で可能となる計算。1日あたり-67gのノルマだ。
倉庫 番には可能に思えた。意識的に食事量を減らした。野菜をメインにした食事に切り替えた。前回は減量用サプリメントの助けを借りたが、今回はひたすら食事のコントロールに専念した。

それに対応するかのように、牛肉は輸入されなくなり、とり肉も同じ運命を辿りはじめ、ついに吉野屋から牛丼が消えた。そして焼き鳥丼も消えた・・・。タンパク質の摂取は人体にとって必須だ。そのころ、特に「高野豆腐」に多く含有されるBCAAがダイエットに利き目があると知った。倉庫 番はなるべく植物性のタンパク質を摂取するように心掛けた。

少しずつダイエットは進み、1月末には75kg〜76kgを維持できるようになっていた。しかし、そこでしばらく停滞が始まった。人間の体はダイエットを始めてある程度体重が減ってくると防衛反応を示しはじめる。生命の維持を優先するために、体重が減らなくなってくる。その状態がしばらく続くと、体は危機が去ったと認識し再び体重の減少を始める。


2004年2月24日朝。シャワーの後、倉庫 番は体重計に乗った。示されていたのは74.2kgだった。しばらく75kgを切ることができなかったが、体はようやく防衛体勢から解放されたようだ。これから一気に加速させようと気を引き締める倉庫 番であった。「これは最後の戦いかもしれません!みなさん!一緒に最後まで戦って下さい!」(何か勘違いしているなあ・・・)


ところで・・・倉庫 番は何故「D-45」を欲しがったのだろうか?ギターを数多く所有しながらも弾くこともなく眺める日々。「D-45」を眺めるためだけに手に入れるつもりなのか?いや・・・そこにはまた別の企てが潜んでいるかも知れない。可能性として考えられるのは、譲渡だった。すでに譲渡先が決まっていて、それに対応するために落札した可能性があった。と、すれば譲渡先はどこなのだ?だが・・・手に入れなければ譲渡はできないのだが・・・。

そろそろアクセス者達も「これってプロジェクトX文体がもう崩壊してるジャン!」と気付きはじめていた。倉庫 番本人も客観的に書き続ける作業が辛くなりはじめていた。客観と主観が入り混じり文体に集中できなくなっていた・・・体力が必要な「パロディー文体」は2〜3回までしか持続できない・・・もうかなりの期間無理をして書き続けている気がしていた・・・(おいおい!今度は泣き言かよ〜!)




15か月かけて判明した、出品者の現実の動きは「言い訳攻撃」を除けば以下のようなシンプルな状況だった。

2002年 11月20日 D-45の空オークションスタート
11月22日 D-45の空オークションで倉庫 番が落札
11月末頃 借金返済にD-45の代金を使い込む
2003年 02月末頃 D-45をリサイクルショップで見つけ取り置きする
03月06日 取り置きしてある事実を倉庫 番に知らせる
08月某日 リサイクルショップ店長にD-45代金を少しずつ物納する申し入れをするが、
現金一括のみしか認めないと断られる
2004年 02月24日 ようやく現金が20万円程度たまってきた

こんな状況では、納品できたとしても先はまだまだ長そうだ・・・。そこで、倉庫 番は次の嫌がらせの一手を考えていた。今まで使っていない手はなんだろうか?暫くして、重要な事実を失念していたことに気付いた。上の一覧表の中にある事実のうち、確認すべき事をやっていなかったのだ!これは要求するべきだろうが・・・出品者がどのように対応してくるのか?見物である。倉庫 番は独りでほくそ笑んでいた。

倉庫番は「取り置き」の事実をメールと電話の会話だけで確認していた。だが、それだけで良いのだろうか?出品者からの情報をまったく信じないとしても、店長の情報をそのまま信じて良いのだろうか? 倉庫 番がそのリサイクルショップへ足を運べば一気に判明する意実関係なのだが・・・。そうもいかない地理的状況がある。かといって、いまもまだ現地協力者が現れていないとなれば、出品者にその事実を証明させなければならない。

証明の為「店長とD-45と出品者が一緒に明確に映っている画像を要求する」としたらどうだろうか?これにはいくつかの意味があるが、今までの事実関係を洗いなおしてみると、出品者はこの店で勝手に写真を撮りオークション出品していた事実があるようだ。今回考えた写真撮影は店長と出品者の関係がスムーズで無ければまず実現できない相談だった。さらに、犯罪者が他人には顔をさらす恐怖感があるだろう。

倉庫 番は別の証明要求も考え付いた。D-45のクオリティー確認だ。出品者はピッカピカであると言っていたが、原物が目の前にないのだから、倉庫 番がその証明を要求しても問題は無い。まずはシリアルナンバーの写真、ボディートップのブリッヂ下の膨らみの有無、12フレットの弦高、フレットの磨耗具合。全体の傷の状況。これらを画像で要求するとしたら、出品者はどう対処するのだろうか?信用できない画像が送られてきたらキャンセルを言い出せば良いのだ。面白い・・・面白くなってきた・・・。

写真の件は取りあえず触れずに、現在知りえた事実関係を長文のメールにし倉庫番は送った。文の最後には「この現状で、どうやって納品できるのか?」と書いておいた。かなり大きめのジャブだった。

2004年2月26日10時過ぎ、出品者から立続けに2通のメールが届いた。やはりあの文体だった。

「おはようございます 申し訳ありませんが 着々と 送れる様に
 なりつつあります 毎日 この件では 動いていますので」


「追伸 倉庫様 もう少しで 解決できますので 最後まで 信じてくださいね
 無理かも わかりませんが」


そして・・・2月26日10時30分、事務所に電話がかかってきた。デスクがまず取った。声が聞こえてきた。

「どちらさまでしょうか?
 岡山の●●様ですか?どのような御用件でしょうか?
 倉庫は、現在年度末の処理で多忙ですので、電話に出られませんが・・・
 はい、ですからどのような御用件かを・・・」

「●●からだろ?私が出ます!」と倉庫 番はデスクに声をかけた。

「はい!倉庫です」

受話器からあの関西なまりの声が聞こえはじめた。文体を真似ればこうなる。

「お忙しい ところを すんません!
 今週 の 日曜日 29日が リサイクルショップも 決算なんで 店長も 限界です。
 それを過ぎても 店長は たぶん 待ってくれるでしょうが・・・
 私も 期限 を切りましたんでね。
 全財産を 持って行って 店長と 毎日交渉 してます。
 取りあえず D-45を 先に送りますんで、
 約束 していた 返金分は、後日と 言うことで お願いします!」


「なんでもいいけどさ、とっととやれよ!」

「はい!やりますんで・・・どうもすんません!」

今回のメールを出品者が送ったタイミング、さらに電話をかけてきたタイミングは、明らかに前日に送ったメールに対する過敏な反応のようだった。かなり焦っているのか・・・。電話での過激な会話を倉庫 番はあえて避けた。会話の時間が長引けば、次第に相手を言葉で追い込むことになる。それはそれで良いのだが、そうなると自分自身が激高しかねなくなる。部下がいる状況で勤務中の態度としては避けるべきだった。

返金を後日にしてくれと言うのは、倉庫 番には予想された発言だった。D-45本体を買い取る現金さえ用意できないのに、10%も返金できるはずが無かった。返金が終了しなければ、たとえD-45が納品されたとしても倉庫 番の攻撃はこの先も延々続くはずだ。

今回の電話の内容は信用できるのか?「店長と毎日交渉している」これがすでに嘘であることは明白だった。2月24日に店長と倉庫 番が電話で話した際に「先週木曜日(19日)からは来られてませんね」との証言を得ていたのだ。そして「決算だから」のフレーズ。過去にも数回使った言い訳だった。出品者は学習能力が欠如しているだけでは無く、記憶障害が始まっているのだろうか?

出品者が毎日店長と会って交渉しているのであれば、D-45の画像撮影は可能なはずだ。本人が「毎日交渉している」と言うのであれば、信じてくれと言うのであればもう「それはできない」と逃げることはできないだろう。倉庫 番はメールを書きはじめた。

それでは確認のため以下の件を早急にクリアして下さい。
毎日会っているのなら問題なくできるはずです。
デジカメが無いとの言い訳は通用しませんよ。
使い捨てカメラを買えばすむんですから。


倉庫 番は細かい撮影条件をつけ「画像を撮影し送れ!」のメールを送りつけた・・・。










*このストーリーは、現実をモチーフにしたフィクションであり、
 登場した個人名、団体名、地名、商品名等は架空のモノです。
 ひょっとして実在するかも知れませんが・・・!(なんだよそれ?)



本日の結論
岡山県岡山市在住の現地調査協力者を引き続き募集中です!


余談
最近一部のビデオレンタル「TSUTAYA」に「ヤフオク?」という題名のVHSが置いてある。
これは宣伝用なので無料レンタルだ。ついでに借りてみる?ちなみに私はすでに観た!

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