六弦的魔力前

2002年12月15日 D-45へたどり着けるのか?



「だが・・・本当の戦いはここから始まった!」


*これから始まる物語はフィクションであり、
  現実の展開、実在する団体、人物とは関係ありません(そうか〜?)


前編 -----------

「Martin D-45」それは魔力(HEX)を持ったギターである。六角形(HEXAGON)のメキシカン・アバロンの豪華なインレイ。ボディーを縁取るアバロン・パーフリング。アコースティック・ギターの頂点。世界中のアコースティック・ギター愛好家を魅了していた。

2002年11月末東京。今年一番の冷え込みとなった。日本経済の行く末を暗示するかのような気温だった。デフレ・スパイラルの緩やかな捻れは、徐々にその姿を確実なものにしはじめていた。そして、ネットワークの罠。インターネットの裏で怪しく蠢く男達。欲望の嵐が吹き荒れていた・・・。

これは平成不況に立ち向かい、様々な世間の攻撃に傷付きながらも、憧れの「Martin D-45」をひたすら追い続けた男の不屈の物語りである。

♪〜〜〜風の中のす〜ばる〜〜〜(おいおい!またかよ〜!懲りね〜な〜!)〜〜〜♪

私家版

プロジェクト
HEX(ヘックス)
「D-45を追え!前編」

2000年春。首都東京。青山学院近くの裏通りにある飲み屋「たぬ吉」の座敷きでジャズライブ帰りの男達は語りあっていた。「やっぱ夢はD-45っすよね!」イモ焼酎を片手に大声でそう言い切る橋本がいた。少し酔いが回っているようだった。ジャズギタリストの橋本には、昔から手に入れたいと思い続けていたギターがあった。「Ovation Super ADAMAS」「PRS Custom」そして「Martin D-45」いずれも高額のギターだった。

1990年代。エリック・クラプトンがアルバム「アン・プラグド」を発表して一気に「アコースティック・ギター」のブームがやって来た。「アン・プラグド」とは「プラグを使わないもんね」と言う意味だ。これはアコースティックサウンドの言い換えだった。つまり、ギターにプラグをつながないという意味からつけられたタイトルだった。アコースティックサウンドが世に溢れた。

クラプトンはツアーに出る際「Martin 000-28EC」を使った。これはハードなステージに対応する為だった。「Martin 000-42EC」のサウンドは繊細で素晴らしいものだったが、反面強度にやや不安があった。サインまで入れられたシグネチャー・モデル「Martin 000-28EC」はやがてギターキッズ憧れのギターとなった。

エリック・クラプトンがアコースティックサウンドをまき散らすはるか昔、伝説のギターが誕生した。「Martin D-45」戦前の1933年から1942年にかけて90本程が製産された。その後、復刻版として1968年から1969年にかけて約200本製造された。そこに使われた材料は贅をつくしたものだった。メキシカン・アバロンに縁取られたボディーは光り輝いていた。その素材のグレードのあまりの贅沢さに、もう二度と作れないと噂されていた。

サイドとバックに使われていたのは「ブラジリアン・ローズウッド」別名「ハカランダ」。今では資源保護の名目で伐採する事が出来なくなった貴重な木材だった。「Martin D-45」の音は「鈴鳴り」と呼ばれ、バランスの取れた涼やかな倍音に満ちていた。夢のギターだった。

1970年以降ユーザーの強い希望によって「Martin D-45」はサイドとバックを「インディアン・ローズウッド」仕様にし、レギュラー製産されるようになった。注文すればいつでも手に入るギターとはなったが、現在日本での定価は105万円に設定され、ギター・キッズからは遠い存在となっていた。しかし、ギタリスト憧れのギターである事に変わりはなかった。

1970年代初頭「Martin D-45」を欲しがる男がいた。「倉庫 番」(くらこ つがい)当時24才だった。彼は結婚したばかりだった。数年前「Martin D-45」の存在を知り、欲しいと思い続けていた。だが、薄給の身の上では手に入れる事は出来なかった。いつしか仕事に翻弄され、時代に飲み込まれ、永い年月が過ぎ、そして20世紀の最後の年となった。欲しいと思い始めて25年が過ぎていた。

倉庫 番は「たぬ吉」で橋本の声を聞いた。「やっぱ夢はD-45っすよね!一生もんっすよね!」その声に永年眠っていたアコースティック・ギターへの欲望が再び沸き上がってくるのを感じていた。橋本の声は天の啓示かもしれない・・・押さえきれない欲望に震えた。だがすぐに欲望は「個人的経済状況」に封じ込められた。不況が日本を被っていた。再び長い沈黙が倉庫 番を押さえ込んだ。

司会者 「本日はスタジオに六弦好きの登録会員の皆様にお集りいただきました!
 そして、目の前に Martin D-45 を御用意いたしました!
 私にはよく分からないんですが、
 この Martin D-45の魅力って何があるのでしょう?」
00035 橋本 「手に入れたら一生もんっすよね!
 そのD-45、安く譲ってもらえませんか?」
00140 山本 「やっぱり、豊かなあの音ですよ!高いから買えないですけど・・・。」
00175 カルロス 「エレキばっかり弾いてるんで、
 アコースティックはよく解らないです!」
00137 荒井 「D-45を手に入れても、勿体無くて弾けませんけどね!ははは・・・」
00135 万歳青年 「すみません・・・D-45ってなんですか?」
司会者 「分かっていらっしゃらない方もいる様ですが・・・
 いよいよ後半は、立ちふさがるいくつもの壁に挑み続け、
 さらにMartin D-45に近付こうとする男の戦いを描きます!」

20世紀の100年が終わった。

2002年になり少し余裕が生まれた倉庫 番はアコースティック・ギターを捜しはじめた。春から進めていた「体重10kg減量作戦」が成功したら、御褒美にアコースティック・ギターを買ってやろう!そう自分に言い聞かせていた。そして胸の奥にはいつも「Martin D-45」が引っ掛かっていた。

ある日ギターを捜している最中、無意識のうちにメーカーとして「Martin」そのものを避けている自分に気付いた。欲しいギターは「Martin D-45」でしかなかった。安いMartinには手を出す気になれなかった。だが「Martin D-45」は余りにも高すぎた・・・中古品でも「Martin D-45」は高額だった。いつまでも手を出せない自分が情けないと倉庫 番は天を仰いだ。

その後「Ovation」「Taylor」「Gibson」と次々に別メーカーのギターを捜しオークションに参加したが、減量が成功しないうちに手に入れようと思うのが早すぎたのか、いずれも落札はできなかった。財力には限りがある。欲しかったアコースティック・ギターはいずれも高額だった・・・。倉庫 番は最後まで戦い抜く事ができなかった。経済力の壁は果てしなく高かった・・・。

お買得のギターを捜す日々が相変わらず続いていたが、捜すうちに全く違う観点の情報が見つかりはじめた。「Asturias」日本製のギターである。北九州のギター工房で手作りされている伝説のギターだった。16人のギター職人が安価だが優れた単板ギターを生み出しているという。

見つけた情報には「Asturias」は価格に比べ抜群の音だと書かれていた。同価格帯の海外のギターより遥かに優れたサウンドであると誉めたたえてあった。楽器の音は主観的なものである。個人によって感想は違うはずだが、WEB上にあるいずれの評価も激賛していた。これか?これなら手に入れられるか?倉庫 番は再び「Asturias」の出物捜しに熱中した。そして・・・ある事実に気付いた。

「Asturias」のカタログを見るとその最高峰に輝いていたのは「D.EMPEROR」特注品で製作に4か月かかると表示してあった。だが・・・それは「D-45」そっくりの機種だった。素材は「D-45」と同じだった。「D.EMPEROR」は弾いてみればすばらしいギターなのだろうが、外見からは「D-45のコピー」にしか見えなかった。欲しかったが、やはり倉庫 番は「Martin D-45」の影を引きずっていた。手に入れるなら本物にするべきだと「Asturias」への思いを早くも断ち切り、しばらくアコースティック・ギター捜しを放棄しようと決意した。

倉庫 番の知人に、鰻屋や寿司屋に入り「特上」「上」「中」「並」のメニューがある場合には必ず「特上」を注文する人物がいた。理由は「並を食ってまずかったら、ちくしょう!特上を食っときゃ良かった!と後悔するだろう?でも、特上を食って不味くても、その店にはそれ以上のもんは無いんだから諦めがつくじゃないか!」論理的「特上」解説に倉庫 番は震えた。これだ!これこそが「 Martin D-45」を求める理由である!(納得すんなよ〜!)

2002年11月21日深夜23時過ぎ、いつものように独断倉庫を更新しようと自宅のMacに向かっていた時だった。久々にオークションでアコースティック・ギターの出物を覗いてみる気になった倉庫 番は、オークション・ページを開いた。そこには相変わらず安いギターがひしめいていた。食指は動かなかった。

ふと気紛れに「Martin」のコーナーにアクセスしてみると、そこで1時間後にオークション終了する「Martin D-45」が出品されているのを発見したのだった。そして、掲示されていた入札価格はスタート価格1000円と、非常識的な安価だった。スタートからたった2日間だけのオークション掲載だった。2日間でどこまで入札価格は上昇するのだろうか?目の前に出ている現時点の入札価格はすでに常識的価格に近付いていたが、まだ手が届きそうな気がした。

倉庫 番は、最近になり手放したギターが2本あった。その売却金額に少し足せばここで戦える。そして「10kg減量作戦」もゴールが見え始めていた。戦う決意をした。「これは27年間の想いを込めた戦いになります!自分自身との戦いでもあります。最後まで戦い抜いて下さい!」そう、自分に命ずるのだった。

オークションは残り時間5分になってからが勝負である。締めきり1時間前の価格では意味がない。そこからどこまで上がっていくかを読まなければならない。深夜は人を狂気に向かわせる。倉庫 番は画面をジッと見つめ、さっそく2万円上乗せして入札した。あっさり倉庫 番は入札TOPに躍り出た!まだ予算に余力があった。

30分後、日付けが22日に変わったころ目の前のオークション画面を更新してみると、入札価格が変化していた。TOPは相変わらず倉庫 番のままだったが、金額は1万円程上昇していた。その後も観察を続けていると、追い掛けている人物の入札具合が見て取れた。かなり悩みながら少しずつ追い掛けて来ていると推察できた。

締めきり10分前、確認するとすでにTOPが倉庫 番ではなくなっていた!倉庫 番は焦った。だが、まだ締め切りまで時間はある。さらにじっくり相手の出方を見る事にした。相手はその時点で一人に絞られていた。しかも入札手口は見えていた。1000円単位でしか追い掛けてこない。かなり限界に近い戦いを挑んでいると判断できたのだ。ここで突き放せば、相手は折れるだろう。倉庫 番は、さらに2万円を上乗せして入札した!

深夜のオークションは狂気をさらに加速する。相手は折れなかった。さらに追い掛けて来たのだった。オークションは入札最高価格が変化する度に閉め切り時間が10分延長される。目の前の金額は刻々と上がり続け、締め切り時間は延長され続けた。倉庫 番が2度目に入れた2万円上乗を相手は追い続け、すでに1万8千円まで追いすがって来ていた。残りは2000円!

もう一度、相手が入札するとそれで相手に倉庫 番の上限金額は分かってしまう。倉庫 番の財力も実はここが限界だった。このオークションはポーカーの駆け引きと同じだった。「読み」の戦いだった。「今、2千円の差が相手に見えなければ、まだまだ遠い壁だと理解しているはずだ。そろそろ挫折するに違い無い!」倉庫 番はそう判断した。

ジリジリと時は流れていった。倉庫 番は1分毎に最新入札価格を確認し続けた。5分・・・4分・・・3分・・・2分・・・1分・・・入札価格はもう動かなかった。やがてそこには「おめでとうございます! 落札しました。オークションが終了次第、出品者から連絡があります」と表示されている画面がついに表示されたのだった!「Martin D-45」は倉庫 番のものとなった・・・。

♪〜〜〜エンディングテーマ〜〜〜♪

D-45を落札した至福感は倉庫 番の全身を包んだ。その夜、豊かな時間が流れた。27年に渡る夢は結実した。約束では5日でD-45は手元に届くはずだった・・・。だが・・・本当の戦いはここから始まった!それはオークション結果に対する悪質な妨害だった・・・。インターネットに仕掛けられた罠は果てしない精神戦となった・・・。

♪〜〜〜予告のテーマ〜〜〜♪

迫り来る障害との息詰まる精神的攻防戦!倉庫 番の怒濤の反撃が今始まる!
あのD-45は実在するのか?絡み付く不安と焦燥感!果たしてD-45は誰の手に!



本日の結論
じらすなよ〜〜〜!!!どうなったんだよ〜〜〜1!!

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