1月25日水曜日午後、あまりにも突然のお別れだった。
その日の朝、ラッキーは鳥かごから出て来なかった。
つぼ巣を出てバーに乗ったまま、まるで朝日を浴びるように外を向いたままじっとしていた。
寒いのかな〜?って軽く思っただけで、気にも留めなかった。そのうち、つぼ巣に入り座り込んだ
。
雑用のために午前中外出し、ジムに行く時間が迫っていたので慌ててお昼ご飯を食べた。
後で考えると食いしん坊のラッキーがご飯を横取りに来なかったのが不思議だが、
数日前から卵を産んでいたのでまたつぼ巣で産んでいると思い込んでいたのだった。
出かける前に、つぼ巣を覗き込んだら座り込んで片目をつぶり片目で私を見て、じっとしていた。
それが生きているラッキーの最後だった。
夕方、ジムから帰ったら、ラッキーの声がしない。いつもだとどこにいても玄関まで一目散で飛んでくるのに。
何度も呼んだが静かなまま。上着も脱がずにラッキーを探したら、鳥かごのえさ場の所で横たわっていた。
気が動転して、慌てて抱き上げた。身体はまだ冷たくなかった。
すぐ身体を保温しマッサージして何とか生き返らせようと試みた。
号泣しながらラッキーの名を呼び「生き返って!」と叫んだ。
でもダメだった。一時間近く経って死を実感した。だんなと娘に電話を入れた。
私の心の中は、看取ってあげられなかった後悔と、前日まで元気だったのに・・・って
悔しさと、悲しみで張り裂けそうだった。
泣きながら、いつものようにラッキーを手のひらに乗せ、頬ずりをし柔らかな羽の触感を味わう。
夜、ダンナが帰って来たが、尚、悲しみが深いまま涙した。
遅い時間に娘も帰って来た。ラッキーを抱き、号泣する。
今までラッキーの羽が抜け落ちたのを集めていたので、それでベッドを作り、ラッキーを寝かせた。
でもやっぱり抱きたくて、手のひらに乗せ頬ずりし涙する。
泣き続けて何時間経った頃だろうか?頬骨あたりが痛い。
頬骨あたりが筋肉痛になるほど泣いたらしい。親の死でも経験の無い事だった。
その夜は眠れなかった・・・・
マンションのためにラッキーを埋葬する所が無いので、翌日大きくて綺麗な素焼きの植木鉢を買って来た。
でも気が重くて準備ができない。やっとのことで新しい土を入れ、後は埋葬するだけになった。
でも別れたくない。もう二度とフワフワの羽に触れられない。もっと一緒に居たい。寂しい・・・時間だけが過ぎる。
ラッキーを抱いたまま、涙声でだんなに電話した。「埋葬できない」って。
返事は「帰ったら埋葬するから」だった。
それから数時間ラッキーを抱いたまま泣き続けた。
でも私が埋葬してあげなくては・・・と決心した。
土の上にラッキーの羽を敷き、寝かせ、上に羽をたっぷり掛けて土が直接当たらないように羽でサンドした。
今までありがとうの気持ちと
二度と抱けない寂しさと悲しみで心がはち切れそうだった。
その日以来、私から笑顔が消えた。
食事の支度中や食事時間にいつもラッキーと取り合って食べていた。
掃除中やベランダに出る時、窓を開けても網戸を閉めなくても構わないこと。
帰宅時に暗い時、電気をタイマーで付けて出かけなくてもいいこと。
フローリングの床に餌がこぼれていないこと。
いつもの場所にいないこと。声がしないこと。・・・・全てが寂しい。
出かける時以外はいつも私にべったりで肩に乗ったり胸元に入り込んだり、トイレまで付いて来たり
一時も離れたくない・・・って私が寝るまでつきまとっていたラッキーだった。
7日目、吹っ切らねばと久しぶりにジムへ行った
。
エアロビクスをやったけど気が晴れない。やりながらついラッキーの事を考えてしまう。
みんながお悔やみの言葉をかけ励ましてくれた。涙を見られたくなかった。
今日は水曜日 。現在夕方。今この時間ラッキーが天国へ旅立ったんだって涙し、この日記を書いている。
ラッキーは私にとっての精神安定剤だったんだ・・・って、痛感した。
8歳9ヶ月のラッキー今まで私を支えてくれてありがとう〜〜〜〜
合掌。
ラッキーの写真集はこちら。
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